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いつもどおりということです。先の一言の補足だったり違ったり。
今期は早々と投票しましたが、選びやすかったとは思っていません。単なる作家買いをしていないだろうかと一抹の不安を残したまま、感想を提出します。

〉究極のオムツ:四コマ漫画。
 これは悪い意味とは限らない。だから本作に対して、こんな馬鹿げた展開、と思うのは無意味。大体、水に流せることと水分を吸着することからして、最初から矛盾しているのだ。
 だから言うことは、こんなぐちゃぐちゃのものが肌に張り付いたら赤ん坊はぐずるはずだろうということである。

〉小鳥と宗教:秘宝館は無用。
 毎度のことだが、描写がいろいろあると、それに対して思うこともいろいろ出てくる。悲報感がいい響きだと感じられるということは映画は喜劇だったのだろうかとか、にやりと女に笑いかけた男は草食動物に擬せられるものなのだろうかとか、感覚を騙してしまうと浮遊感に襲われてしまうのはあり得そうだとか。しかし最も大事であろうインコの意味がわかっていないので、見当はずれな感想なのかもしれない。
 それにしても、「インコの水を取り替えていない」のはず。

〉狩人〜闇の支配者〜:『ソウルイーター』?
 描きたいものがあることはわかる。しかしこれで書けていると言えるだろうか。以下、酷評になる。本作の大鎌よりは鋭いつもり。
 「心と裏腹の晴天」としているが、この心とはどういう心境か。この言葉を用いると、一時的な心境なのか持ち続けている鬱屈なのかがわかりにくい。そして本作の場合はどちらであったとしてもそれを描いたものがほとんどない。「僕達に平和は不釣り合いだよ」で良しとできるものではないだろう。
 「仲間内では知らぬ者が居ない程の女好きに苦笑する」の女好きが誰なのかがわからない。そしてこれは誰かの性格付けなのだろうが、まったく活きていない。
 「酷薄に嗤う」の描写、傍らの少年と区別させているのではあるが、直前までの悪態とつながっていない。
 「狙うはただ一人」としており、これは決められた者だけに制裁を下すことを示しているのだが、実は多人数を始末するといった想定がそれまでのどこにもないため、無用だろう。
 全体的に、文字だけから思い描いたものが再現できているかという点に難があると言わざるを得ない。私自身がそれであるとも言われるのかもしれないが。

〉悪:TM氏の作品が崩壊したもの。
 最初と最後とその間が、一貫したものになっているかという点に疑義を呈したい。それから、淡々と文を並べている中で「きっとそうだ」という一文だけが完全に内心を示すだけのものとなっており、浮いていると思う。

〉マグナム(Magnum):仮想の世界に歴史上の人物を登場させる際には注意が必要。
 それらしいことが書かれているが、実はマグナムと呼ばれた男が何者であるかは読み取れない。それから、あまりニュースなどを見ないため軍の構成などはわからないのだが、米軍に白人が多いというのは本当だろうか。

〉かき氷:感傷的な割にその原因がわからない。
 漢数字とアラビア数字が並んでいたり、「私」と「わたし」が混在していたり、「あなたは何度も同じ言葉を、いつも同じ言葉で、私に言ったね」と同じ言葉が無意味に重複していたりと、書き方ができていない。それとこれは違うことなのかもしれないが、「言いまつがい」とはどこの方言だろう。

〉テクテク、テク:転の省かれた起承転結。
 ステップがパーカッションでそれに歌を乗せる発想は面白い。ユニゾンではなくてコーラスだったら本当にすごいかもしれないが、それは考えにくいのでそこまで微に入らなかったのは正解なのだろう。

〉二泊三日、つまらないはなし:混沌としているのか矛盾しているのかわからない。
 それは斉藤恭子が何者で、いつどのようにして僕の前からいなくなったのかがわからないことに起因している。そして、歪んだ、あるいは歪ませた、描写の連続。「真っ紅な悪夢の世界こそが癒しである」対「唯一僕を癒してくれるのは明るい過去」、「斉藤恭子が僕の前に現れたのは今年の冬」対「それから何年の月日が経ったというのだろうか」、これは一日千秋というものなのかもしれない、「今君の元へ行くよ」+「その願いの儀式のたびに増える手首の傷跡はいつまで増え続けるのだろう」対「海の近くの町へ数日前から出かけていた彼女が帰ってくる頃だろう」、そして「僕たちはただそれに魅了されて騙されて」とここだけ彼女も含めて語っていること。私にはわからないことばかりである。

〉透明生活:無色についてもっと論じてほしかった。
 透明と無色とは、無色を白と同一であるとしなければ、似ている。似ているのだが、異なる。本作にはその違いの端緒だけがあり、それぞれがどのようなものであるのかということはほとんど描かれていない。だから、何かを伝えようという意思があまり感じられなかった。

〉空を飛ぶ:僕は父親の気持ちをわかっていない。
 父親の言う「飛ぶ」とはどのようなことか、それは物理的なことではないのだろう。だから飛行機に乗ろうが気球に乗ろうが、それは飛びたいという夢とは何の関わりもない。それなのに最後に一文で「大きく羽ばたいて」と言ってしまったことは、致命傷だと思う。
 それから、「翼をつけず空を飛びたいという父親の夢を叶えてあげたい」と第一文にあるのだが、叶えてあげる、という行動はその後ひとつも描かれていない。飛ぼうとしていたのは僕であったし、父親を飛ばそうとしたとしてもそれは僕自身のためだったように私には読めた。

〉夕鶴異聞:女房の言う翼が実体として存在するのか否かがわからない。
 想像の現れである翼を削って織ったものが美しいと感じられることはわかるとして、羽がむしり尽くされて肉が破れ骨まで見えるとなると、それは想像上の存在ではなく肉体として存在するものではないのだろうか。あるいは、空さえ飛べる希望的な想像の逆の姿として、この状態が具現化してしまったということなのかもしれない。
 自分が飛べなくなってしまうほどに羽をむしりとって亭主に翼の存在を気づかせようとしたことは献身的であり、むしりつくしたことでこれ以上翼を示すことができなくなったために亭主の元へ帰る意味がなくなったこともわかるのだが、実はこのことを他人に話すということはどのようなことなのだろうかと疑問に思った。

〉規定:それほどまでに唯一絶対的な価値を持つ文学賞など存在するのだろうか。
 このような苦情が成り立つためには、この賞を獲得できなければ作家として生きていけない、儂が意味もなくXXX賞を欲している、くらいしか思い浮かばないが、そのような背景は必要ないのだろうか。また、この儂が最初の一言だけ私になっている。激昂した結果地が出たのだろうが、それにしては早すぎではないだろうか。
 それから、本作自体が文章作法から逸脱している。会話文の閉じの鍵括弧の直前に句点があったりなかったりしているが、これは意味のある逸脱とは思えない。

〉灰あかり:あかりに没頭したところでなぜ異形の者にめぐり合えなければならないのか。
 心境は確かに面白いものであり、その面白いものが良く描かれていると思う。私が特に良いと思ったのは、「一匹の蝿がそこに立ち現れ〜眺め入るより他にすることがある筈だった」、「はっとしてあかりの中を抜け出した俺は〜目の前には灯された蝋燭があった」、「それを消そうとしない限り、俺は一寸たりとも動けないことを直覚した」の三つ。
 逆に良くないと思った表現は、「皆、鏡に映した俺の顔と瓜二つの相貌だったのだ」である。この部屋には鏡の存在がないのだから、比較対照は自分自身で良かったのだと思う。

〉憧れのかたち:随分と理解の届く小学生だ。
 それから、突如口調が変わったときの話題が、テレビの話題ともつながっておらず、突然すぎる。口調が過去に戻っても、話の内容まで過去にさかのぼる必要はない。むしろ悪い。
 「忍び足ながらに急ぎながら、自分の部屋まで急いだ」は重複した言葉遣いになっており、削除すべきは前者だろう。

〉記念日:女が恐怖に襲われなかった理由がわからない。
 燐火が新たに指先にも灯ったこともわからなかったが、さらにわからなかったのは「黒い扉が女の顔の前で閉じ合わされた」こと。足からでも手からでも、首を経て燃え広がるはずであり、こうはならない。しかし、最後の一瞬まで燃えている女が言葉を発するためには、こうでなければならないことも確かにある。
 指輪を左の薬指にはめたことの意味を私が読めなかったことが残念である。

〉その後の日常:最後まで読んで最初に戻ると手首が落ちたことが不可解。
 死んだことが他人に確認される直前まで、他人の間ではその人は生きていたのだ。その人の命の終わりと他人が認識する死の間の時間という発想は、奇抜だと思う。問題は、その時間の中で死のうとする必要があるのか否かということだろう。死のうとすれば、実際の死と認識される死の間に死体の状態が変化することとなってしまうのだが、もしかすると本当は変化した後の状態が、実際に死んだときの状態であるのかもしれない。それもそれで一部回復した状態で存在することになるので、やはり首を傾げてしまう。一方、死のうとしていなければ、いつまでも生きていたときと同じ生活を繰り返し、死んだということすら失われてしまいそうである。奇抜なだけに、難しいのだと私は思った。

〉桜と翁:骨格だけで肉付けがない。
 それから、宗右衛門という名の主人公が最後になって翁と表記される理由が見あたらない。

〉夕凪:何人いるのだろう。
 第一段落が好きだと思った。しかしどの段落が好きと言うのは、本作を読めていないと白状することと同じであるような気がする。語られるのは不安ではきっとなくて、「虚」の文字が使われる何かだろうか。それから、舞台上でスポットが当たり、消えていくような展開に見えた。

〉管理する人と管理される人:管理とは何を指すのか。
 寝たきり老人の付き添いなので介護ほどには過酷ではないのかもしれないが、大変な仕事のはずだろう。その割には主人公の態度が飄々としており、この分だとおじいちゃんが亡くなっても飄々とし続けるような気がする。それで良いのだろうか。
 あるいは、このアルバイトに雇う側から敬意を払われていないあたりから、作品全体が諷刺なのかもしれない。

〉飴玉と珈琲:一匹狼がそんなにたくさんいると異端さが消える。
 場面転換が多すぎて、バーテンダーの話なのか女の話なのか猿男の話なのかがわからない。もっとも、そういう考え方をすべきではない作品群なのかもしれない。それとは別にわからなかった表現に「猿男もどんぐりでも食えと投げつけられたことがある」がある。なぜこの一文だけが時間を追った語り口でなく、後から過去を振り返った文体になっているのだろうか。

〉盗む者と盗まれる者:結のない起承転結。
 ボランティアの話題が出るまで、男はどうしようもない人間である。ニートと呼ばれる人たちのイメージがこの男になってしまっては敵わない。そこから人間性を回帰させるのが物語だろう。ボランティアという単語はその端緒としては良い選択だと思う。しかしそれは端緒に過ぎず、その後をどうするかがないのは致命傷以前に完成していないと言うべきだろう。

〉ゴドーと歩きながら:ゴドーの置かれている状態が生なのか死なのかわからない。
 ゴドーのいる場所は、生よりも死よりももっと過酷なものなのかもしれない。そしてゴドーは過去に生にいた。だから音楽やパートナーや家を欲する、と思ってみたのだが、家を空を飛ぶ夢によって認識しているので、そうでもない。
 ところで、『闇夜の果てへの旅』の頃はむしろ暖かかった世界が、最近では過酷なものに変質している、しかもぶれずに確実に移行しているのは、どういうことなのだろうか。

〉甘い起業計画:テレビではなくてラジオ。
 最終段落によってそれまでのすべてが回想だったとされているので、出だしが「最近は」であるのはどうかと思った。それから、なぜ「俺はガムシロップはあまり使わないのだが」の部分だけ一人称が俺とされているのだろうか。
 印象的な締め方だが、『いささか長めですが、これが短編第57期への曠野反次郎の投稿作品の題名ということになります(良い題名が思い浮かばなかったのでこうなりました)。』の方が強烈だと私は思う。

〉擬装☆少女 千字一時物語26
 得票の有無以上にどのような感想がもらえるかが楽しみ、というこれまでにない心境で臨んだ第67期。

〉櫛にながるる:怖い中学生だ。
 qbc氏が時折遣うこの文体。変則的なことによる印象付けと字数低減の効果を持つが、まれにわかりにくくなるものだと思う。今回は「彼は気まぐれに悪戯を」の一文。あるいは文の位置によるわかりにくさかもしれないが、引っ掛かりを覚えた。それからこれは文体によるものではないのだろうが、「「ネットで陰口」への配慮」がどういうことなのかが私にはまるでわからなかった。

〉川野:感慨と言うほどには感情が込められておらず叙述と言うほどには感情が排除されていないこの間合いが印象的だった。
 この間合いと、qbc氏曰くの川野氏の魅力たる知識を使った、読ませる作品。何もない話ではあるが何かを思うことを残す作品。それが氏に対する私のイメージ。ただ私はこの間合いよりは感情的なものが好みであるため、氏の作品では『回送』が最も好きである。
 最近の作品には、残すということに対する考え方がある。考えがあること、そのような考え方があることは良くわかる。どうでも良いことだが、私には到達できそうにない境地であり、しかし羨ましくは思わない。感想として書けることがなかったため、本当にどうでも良いことしか書けず、申し訳ない。

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