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 非商業小説なのだから、自己投影した作品や、不完全な作品があってもいいと私は考えている。不完全とは説明が難しくて、例えば「リンゴ」を「リルラ」と書いてしまえば、日本語の意味の共通性が削がれてしまう。でも「リンゴ」を「リルラ」とすることで新しい世界が誕生することもある。芸術的なことで言えば、正しいデッサンの習得は自作を解体する良き道具になりうるが、解体したその先にどう組み立てるかで魅力的かどうかが変わってくる。
 ただし、不完全とはいっても、どこかで読んだ印象の強い作品や、小説を書き始めたころに通過する悲しみを含んだ作品を私は良しとはしないこととしている。

「さよならの先」
 哲学や宗教にある荘厳さのようなものが前作まではあったのですが、今作は少し地に足の着いた印象があります。その理由を考えていて、前々作は根源の提示、前作は達観された突き放し、そんな感じが作者の世界を作っていたのだと解釈しましたが、今作は個人の思いのような、少ししぼんだ印象が、やはり残ってしまいました。

「見えない見ない。」
 古くささを感じるのは、よくある設定だなと思わせてしまうからなのであろうか。色のない世界に色が射す、そして死、なんてのはちょっと使い古されていて、私は脳内で、本当に色のない世界で生きているというようなイメージを作ってしまった。小説とは悲しいものであるから、悲哀はいらない。最後には光射すものを書いて欲しい。

「一揆」
 いい悪いを別として「一揆」には作者固有の空気感、読者に歩み寄らない態度が感じ取れる。作者は読者に歩み寄りが足りないと思っていたけれども、もしかすると、そうではなくて、作者が作者自身に叫んでいるから、読者には歩み寄れないのではないのであろうか。そう考えると、他人を借りて発した言葉が最後には自分の叫びとなっていくことにも納得はできる。

「神輿とまわし」
 意味を求めてはいけません。繰り返しの嫌悪感を楽しんでください。

「短編小説家として有り続けるために」
 無理に体裁を保とうとして、まとまり過ぎてしまったことが、小説の混沌だとか、いい知れぬ不気味さなどを削いでしまった印象を持つ。不完全ながらも毒のようなものを絶えず表現(いい作品ということとは違う)する「一揆」と比べると、やはりどうして、魅力が薄い。小説とはこうあるべきだというような固定観念がどうも見え隠れしてしまう。内容にインパクトがない(死体をネタにするというのは新鮮さがない)ので、余計にそんなことを考えてしまった。
 評価の低いことばかり書いてしまったが、実はどうして、いい作品を書いてくれそうな期待度は私の中で一番なのである。次作を待つ。

「チョコレエトムウス」
 不明な行間が気になってしまう。センセーショナルを狙った単語や、言い回しを感じるが、その先の意味を読み解くことができなかった。いや、無理矢理にはできるが、タイトルや登場人物の関係性にもう少し配慮(27歳の彼女とスパンコールネイルの女の関係性や、彼と恋人とのちぐはぐなやり取り)できると自然な意味が生まれるのではないのであろうか。

「スイッチ」
 どうも、最後に出てくる「ひとりの青年」の部分が不明でどうしようもない。たぶん、冒頭の「青年」とは違う「青年」なのであろう。そう解釈して、最初の「青年」のスイッチ操作により、空の明るさが変わる、というような展開を想定したが、最後の一文「次の瞬間には〜〜」の意味が不明で尻切れとんぼの印象しか残らなかった。同じ「青年」なのであろうか。だとしてもやはり、変な終わり方である。

「アプローチ」○
 「姐さん」には「姉さん」にはない艶やかさが含まれる。素人のような気がしないのはその艶やかさのせいである。そのことが展開に深みを含ませるわけであるが、どうも、私は従事者を想像してしまう。掃除婦なのであろうか。
 男として気になったのは、尿の飛び散りを気にして小まめに掃除する姿勢があるのなら、座って用は足すであろうということ。便座を開けたということは、少なくとも前の使用者は座っていたことになるのであろうから。
 それはさておき、男4人と書いてあるが、俺、カズキ、ハヤト以外は誰なのであろうか。今回は少し毛色の違う、不完全さを感じる。ただし、これは否定ではない。無理をして組み立てようとしていない不完全さが私は好きだ。「姐さん」という表現も何か得体の知れないものをおぼえるから好きである。

「阿部守夫の大冒険」
 頭の良い政治家、リーダーが存在できないのは、それは、選ぶこちら側の問題であり、国民のレベルが低いからである。確かに滑稽ではあるし、見え透いたことをよくもまぁ、と思うこともしばしばあるが、それは自身の投影である。
 ある池で子供が溺れて亡くなった。母親は目を離した自分が悪いと嘆いたが、まわりの人間は、柵を設置しなかった行政の問題と言い、賠償請求をするべきだと母親に言った。私は母親だけが悪いとは思わない。けれど、行政を責めることでは解決できないとも思っている。でも、賠償を取れるだけ取ってしまうというのも有りである。(前に何処かで書いたかも知れないが)立川談志はそんな意味のことをはなしていた。
 小説としての感想は書けないから、読んでいて思ったことを書きました。

「いまそこに風が吹いているから」○
 風に、とてつもなく大きな含みを感じていますが、うまく説明ができません。主人公のいる場所を風が通過して、そうなると、風と主人公は違う時空にいるという象徴になるし、風が意思や希望の比喩だとしたら面白いとも思うし、とにかく女の子の言葉に大きな含みを感じました。
 たまに感じる(遺品にも通ずる)物理学とか、宇宙とかいったものへの作者のアプローチの方法が私は好きです。
 と、書いたあと、掲示板を見て「第三の世界」の意識を確認して、腑に落ちたところもあります。

「ビゼーの交響曲」○
 私は「ビゼーの交響曲」を知りませんが、小説には共感できました。設定に完全なる新鮮味は感じませんでしたが、この場合、それはそれで良くて、無意味な行動を通して意味を理解するといった感性には魅かれます。「世にも奇妙な物語」のようなイメージを持ちましたが、もし、悲しみや恐怖で終わっていたなら、ここまでの評価はしなかったはずです。あたたかく終わるのはいい。コーヒーがないのもいい。

「痺れ」
 そりゃそうでしょう。縛られた意味が分からないのであるから、夢の中に戻れるはずはない。ツッコミはさておき、何となくありそうな印象があって、それが、小説の加速度を妨害しています。
 それでも、想像は膨らみます。合意ではないのでしょう。一種のプレイのようでもありますが、そんなことよりも「痺れ」を全面に出し、状況なんてどうでもいい、とした姿勢に私は好感を持ちました。でも、最後の一文(ツッコミの部分)が無難なオチを想像させて、私には響きませんでした。

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