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#14 暑寒 川野佑己さん

 いろいろと考えちゃった。
 一見すると言語の類似性に関する論文の体裁を取っていて、きれいにまとまっているが、よくよくネットで調べてみると作中の例は嘘話が多い。
 まずヤチ=谷地をアイヌ由来とする説だが、遡れば柳田國男が主張した文献がある。しかしこれを根拠不明確として退ける別解釈が提唱されている様子だ。「他言語との行き来」という展開はともかく、「バツ」を例とした英語と日本語の類似も然り。一致に意味を見出す説もあるが、偶然の一致と考えるのが通例のようだ。なお、大辞林などで「×」は「罰」から転じたかと仮説されている。「バッテン」は「罰点」を充てるだろうか。
 「先に音があり、文字は後から」とあるが、言葉の由来を辿る場合「音に対して直接性の高い話し言葉先に充てられ、書き文字は後」であることに異論を挟む余地はないと思う。動物の鳴き声のように音を書き文字に転化したことが明らかなものを例に取れば――犬や鶏の鳴き声を日米比較してみれば――まあ似ているといえるだろう。
 しかし、音と意味の似る「言葉」が総て同じ音から発したかどうかは、作中で語られるだけではにわかには首肯しがたい。表題の「暑寒」について調べたところ北海道の「暑寒別」という地名がヒットした。暑寒別すなわちソ・カ・ウン・ペッはアイヌ語で「滝・の上・にある・川」を意味する。現代日本語を基本言語として暮らす私にしてみると、果たして何の「音」から「言葉」が発したものか、よくわからない。
 「音」に由来し「意味を与えられた言葉」の「組み合わせ」で地名が作られることも十分ありうる。タナカという地名は田中の意であろうしこれは「田」+「中」という「意味を与えられた言葉」の「組み合わせ」と解釈するのが妥当ではないか。つまりウラワのような地名については、「音」だけの類似性で意味の類似を語ることは難しい、そういうことになるのではないかと思う。
 言語学を学んだことはないが、発祥を同じくしない言語間において、直接的に音に由来するものを除いては、個々の単語について音と意味が似ても偶然の一致、シンクロニシティと考えてよいのではないかと思う。

 長々と書いたのは、実は論旨の矛盾を指摘することが目的ではない。これが論文ではなく川野さんによる創作小説であると私が思っている、ということの表明なのである。そう思ったのは最後の段落で架空の地ウラワへの旅を思う語り手の姿が描かれたためである。まあそこまでは見事に騙されて読んだわけだが。
 ホルへ・ルイス・ボルヘスは短編「トレーン、ウクバール、オルビス・テルティウス」(「伝奇集」収録)において実在する百科事典の架空のページから架空の都市を調査していく様子を学術調査記録的に(という表現が適切かわからない)書いている。調査媒体が架空のものであることは、解説を読まないとわからない(はずだ)。しかしこれを区分するなら幻想小説であり、調査記録という読み方はしない。(似たような幻想小説の書き方を「クトゥルー神話体系」を編纂したH・G・ラヴクラフトがしているが、ラヴクラフトかクトゥルー神話なら知っているという人はいるのではないだろうか)偉そうに例を挙げなくとも論文や博物誌という学術的体裁を持つ小説はいくらでもある。
 あまりに巧妙すぎて伝わりにくい、という風はあるが、古典を踏襲した民族誌風ちょびっと幻想小説としてしみじみと読むことができるのではあるまいか。
 前期の一連の全感想投票で「せつない≒刹那」理論を展開した私としては「似ているからといって騙されるな」と釘を刺されたと解釈し考えを改めなければならないのかも知れないのだが、こうした言葉のシンクロニシティから良質の物語が派生する可能性があるとか言ってしまって、発展的にまともっぽくまとめたようなあたりでご勘弁をいただきたいというのが本音である。

 ああ、これは感想ですから間違いや調査不足はあっても虚構はありませんよ。

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