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のい「恐怖」(81期)感想

 かつて両親のセックスを目撃したことがトラウマになっていた女性が、いつしか自分も娘を出産することになって(この子も私と同じようにセックスを汚らしいと思うんだろうか……)と感慨にふける話だと読みました。

 話そのものは結構深いテーマだと思います。みたくない親のセックスをみてしまうと、それがトラウマになって人間が獣に思えてしまう、という気持ちはわかるし、それが女だったらなおさらそうかもしれない。ただ、この作品は、作者の文体がちょっとポルノっぽい気がします。

具体的には

「耳を塞いでも聞こえる女の喘ぎ声、獣のような男の息遣い…あれは私の母と父」
「母の手は父の男根を握り」
「いつも私を撫でてくれる父の手は母の乳房へ」
「快楽を貪っていた」
「パジャマをぐっしょりと濡らし」
「母に隠された獣のような裏の顔」
「母が私のパジャマを脱がせようとボタンに手をのばしてきた」
「指に力が入らず結局は母に脱がされた」
「あ゛ぁー…んあぁーう゛ぁー」

……たくさん抜き出しましたが、そう、たくさんありすぎるんです。たった1000字のなかで、これだけポルノ的な語彙がでてくると、ずばり作者は「母が父の男根を握る」シーンを書きたかったのではないか、と思えてならなくなってきます。そうすると、これはまた別の視点で、つまり、「ポルノとして」読み直すことになります。

ポルノとして読むと、獣のような、男根、ぐっしょりと、裏の顔、といった言葉が直接的すぎて、それはそれでこっちの妄想を広げてくれない。たとえば私はホルモン焼きやモツ鍋が好きなんですが、そして、男だけでなく女性にも人気がある料理だと思いますが、それは最近のモツ鍋屋の内装や広告がモツのイメージを変えたことと関係があると思います。もしも、モツ鍋屋の看板に、生きた豚の内臓の写真が載っていたり、「その場で豚を解体する生モツ・デー」というイベントなどをやったとしたら、今のブームは終ってしまうんじゃないでしょうか。

モツやホルモンにはコラーゲンがたっぷり、美容にいい、味もおいしい、とモツの臭いイメージをぬぐって、おいしいところを強調するからこそ、ブームにもなります。そして、皆、じゃあモツを食べるとき何も思わないかというと、やはり、心のどこかでモツが内臓であることを意識したりして、モツを恋人ではない女と食べたりすると、やはり隠そうとしても隠しきれないある種の気分がでてくるんじゃないでしょうか。デートで女が焼肉を食べたいというのは……とか。

ポルノだって同じように思う。男根、ぐっしょり……とかかれて興奮してしまうほど、うぶな読者も少ない気がするし、なんとなくひいてしまう。そこはわざと隠すところだと思いました。抜書きした上記の箇所を削って、そういう言葉をつかわずに、書いてみるのはどうでしょうか。

ちょっと興味がわいたんで、自分も書いてみました。設定は同じで、主人公は女です。

「両親の寝室から聴こえるクラシックがうるさくて眠れない。一言いってやろうとノックもせずにドアをあけると、部屋から溶けたバターのような匂いがした。こっちをみた二人の目は猫のようだった。私は気持ちが悪くなって、すぐに自室にもどった。何かいってよ、と思った。今みたのを忘れようとしたけど、忘れられないかわりに汗がどんどんでてくる。大人は不潔だと思った。私はそのまま眠りにおちたみたいで、やがてまとわりつく汗が気持ち悪くて目が覚めた。母親がそばに立っている。母は黙ったまま私をみているようだった。手にパジャマの着替えを持っていた。「わたしお母さんのこと嫌いになるかもしれないよ」となげやりに口にした。母は起き上がった私の隣に座って「お父さんのこと、好きなの」といった。外はまだ薄暗く、夜明け前だった。私は母のとなりで、新しいパジャマに着替えた。母は不潔ではなかったと思った。でも私は何と言えばいいのかわからなくてやっぱり泣いてしまったので、パジャマがまたぬれてしまった。母は笑いながら私を抱きしめてくれたが、いつもの母だった。やっぱり母も父も不潔ではない、ともう一度自分に言い聞かせていると急におなかがすいてきたのだった。」




黒田皐月 「アカシック・レコードをめぐる物語 異界編」 (81期)感想

おもしろかったです。この話を読んでいると、「人を相手にするな、天を相手にせよ」という誰だったかの言葉を思いだします。人を相手にした人間関係の小説や映画が多くて、食傷気味になっているときに、いまいち理解できない「アカシック・レコード」(世界のすべてが記録されてる?)とかいうものをめぐって話しあいをつづけるという設定がいいです。読んでいて、意味から解放された気分になる。普通の言葉で書いてあって、一読するところなにやら論理的な物語にも読めるんですが、なぜか漱石の猫の挿話が意味不明に挿入されていたり、とつぜん珈琲を飲みだすと謎の男があわてたりするところなど、この物語を理窟でとらえることの本質的なばかばかしさがおかしい。

小説に刺戟を求め、読み捨てるタイプの人には、この1000字小説はあきらかに物足りないと思うんですが、私のように、刺戟ではなく小説にながれる(無駄な)時間を好む人間には、おもしろかった。多分、文体がひきしまっているところもおおいに関係していると思う。余計なところを感じません。投票するとおもいます。




影山影司「1000^63こきんこかんしょてん」(81期)感想


まず、全部ひらがなという発想が実験的でいいな、と思いました。

「 きそくが、ある。じぶんのげんこうをひとつもってはいれ。ただし、くうはくやくとうてん、だくてん、すてがな、ひらがな、ろくじゅうさんしゅるいのもじだけをつかい、すべてをいちじとかんさんしてせんじぴったりのげんこう。かんじやかたかな、いこくのもじはふきょかとする。」

という冒頭文も、なにやらこれから冒険がはじまるみたいで、その命令調なところにもワクワクさせられました。ただ、中盤から後半にかけてはいささか期待はずれの感が否めません。やはりひらがなが魅力的なのは冒頭の、いかにも犯人の犯行声明文みたいな箇所だから光ってくるのであって、中盤の室内の描写をひらがなでやると、ちょっと飽きてきます。むしろ、全篇ひらがな、という実験的な新しさよりも、ひらがなと普通の文章の緩急つけたほうが、締まってくる気がしました。

個人的にふと思いうかんだのは感想というより、書き換えたい衝動です。

「しつないには、びじんひしょがひとりいた。とおもつたらひしょのかつこうをした、いったいのまねきんだつた。まねきんのくせにびじんだな、とおもつたわたしはまねきんにヨシコとなまえをつけた。ヨシコ、ヨシコ! まつたくかざりけのないしつないがヨシコのなまえをよんでいるときだけ、ひかりかがやいてくるのだつた。いかんいかん、わたしは、たいぷらいたあでしようせつをかかねば、とおもつて、ヨシコとアヒルというだいめいのはなしをかいた。うちおわるときんこがひらいた。きんこにはうちおえたげんこうがせいほんされていて、わたしはしゅつぱんしゃにもつていつた。出版社で私に応対してくれた相手は小川好子と名乗った。とても幸先がいい、と私はあのマネキンのヨシコのことを思い出していた」



高橋唯「ある晴れた夕暮れに」(81期)感想


ある日男物の鞄をひろってみると、自殺したいと書かれた手帳と、持ち主の男と妻の写真がでてくる。こんなに美人妻がいながら悩むなんて贅沢なやつだ、と思った主人公はその妻を犯しにいくと決めるという話だと読みました。

失礼ながら、いろいろと話の設定にも興味あるし文章も上手な作者だと思ったんですが、

「そしてこの女を犯す。そう決めた。」

という、一連の主人公の思考の流れについていくのが疲れました。というのも、これだと小説というよりも一人のキレた男の思考をたどっているようなものだからです。物語としてはもっといろんな声がききたいです。たとえばこの男はたしかに鞄を拾って女を犯そう、と思っているところに

「鞄を拾ってまもなく、こんどは突然、俺の目の前で前を歩いていた男が女を殴りはじめた。男は品のいいスーツを着て、女もさりげなく身に着けた胸元の宝石が光っていた。つまりは俺にとって羨ましいカップルであったのだが、男は女を堂々と殴っているのだ。俺はひろった鞄の持ち主の美人妻のことも忘れて、すぐに殴られている女を助けに入った。男は俺の一発でヒイイと泣き声をあげてどこかへ行った。腕っぷしで認められる世の中なら俺もいい先いってたのだが……、と振り向くと、女が俺をみている。ありがとう、と女は言ってきた。ああ。俺は今から、女を犯しにいくところだったのだよ。ありがとう、強いのね。女がくり返し言う。俺みたいなカス相手にすんなよ、犯されるぞ。俺が言うと、だって私助けてくれたじゃん、いきなり知らない人のなのに助けてくれたじゃん、それにあたしだってカスみたいなものよ、と女。カスじゃねえよ、きれいじゃないか、きれいだよあんた、美人じゃないか、すごいいい女じゃないか、と俺。……そんなこと言っているうちに、俺はこの女と歩いていた。女は離れないし、俺はまず拾った鞄を交番に届けにいくことにした。不思議なことにあのマグマのような性欲はどこかへ消えていた。俺はこの女を大事にしたいと思っていて、そのために明日仕事を探しにいこうと思っていた。そういう自分が不思議だった。」

と、中盤以降を自分なりに考えてみました。やはり、「女を犯しにいった」で終ろうとするラストというのは、私には主人公が残酷すぎる。というのも、小説とか物語というのは、「本当に俺がほしいのは一時的な欲望の発散ではなく、もっとあったかいものなんだ」という、本当はこうありたい、という精神的なものを掘り起こして形にする、そういう役目もあると思うから、落ちぶれた主人公を最後にそのまま落ちぶらせていく終り方にするのであれば、そんな小説を読んでも救われない……と私は個人的に思っています。

ですが、私なりにこのテーマで書き直していると、なんだか書くのが楽しかったです。


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