仮掲示板

第188期の感想

「フレーバー」
 気の抜けた感じが心地良い。キャラメルポップコーンという単語の持っているいやな感じ、ねたみ、さげすみが私には強過ぎて少し好きにはなれない小説ではあるが、そういう個人的なことを抜きとすれば、手を抜いたのではない、自然体な書き方が良かったと思う。

「ある心」
 この小説を遺書ととらえてみた。この遺書が最後に自分の書いたものであるなら、果たして死ねるのか、いいや、私なら、もっといい遺書を書くまで死にたくはないだろう。とにかく、主人公は自分しか見ていないから、これを心とは思いたくない。
 構成において、死ぬ私に対して、一人称では不自然になるのかと考えていたが、首を吊ったあとも死んではないのであれば、一人称でもいいのかと考えている。結局死ねなかったのかと。

「何年何か月。」
 小説っぽいとは何なのであろう。この作品が小説っぽくないのはなぜだろうか。自分(主人公)の中の葛藤のようなものを書いていて、そこから逃れるために何をするのか、どう展開させるのかが、小説らしさになるのであろうか。でも、個人的な日記のような閉ざされた書き方でも小説らしく感じるものもあるし、セリフの有無でもないようだし、果たして書き方がすべてでもないようではあるが、とにかく、小説っぽくないなと思っている。

「月光屋さんの紙弁当」
 本の虫は悪い意味で使われることは少ない。でも、本を読む、本から知識を吸収するのは果たしていいことなのであろうか。ふと、そんなことを考えた。本から知識を得て、プーは成長する。そこにインパクトのある設定や言葉を加え、だからこそ、読み物として、らしく、なってはいる。では、なぜ舞である必要があったのであろうかと思って、行きつ戻りつしたが、必要性はわからなかった。

「放課後」
 名前と性格を認証していくと、頭が混乱してくる。そこに尽きるのか。最後の意味はあまり理解できなかったし、内容にメッセージがあるとも思えなかったから、そういう混乱を楽しめばいいのだろう。そう考えるとスッキリする。

「アートの外でダンス」
 前作を出したとき、もうこれでしばらく投稿は控えよう、感想も書かずにおこうと考えていた。それは、他の作家の粗探しをする自分や、自作の不出来に嫌気がさしていたからだ。でも、皮肉なもので、自分自身の自作に対する評価とは逆の評価をいただいて、少し力をもらった。だから、続ける。

「受容と風化と俯瞰」
 いい感じ。前半の簡単には答えが出そうにない感情の描写から、緩急で眠気へと進む。自分の自殺に対する自身の不安。「君は死なない」とする同意の在り方。父の死を5段階説で受け入れ、風化し、自分の死を俯瞰できるようになった。そう考えると固いタイトルにも意味があることを知って、この作品が好きになった。

「恵美の或る一日」
 アレが何なのか、色々と考えた。作品への仕立て方が標準的なので、受け入れやすい小説になっているが、最初の「いつもと変わらぬ朝」とはいつの朝のことなのかとの疑問が頭に浮かんだ。その朝は、アレの朝なので、いつもの朝ではなく、それ程の朝であれは、果たして、いつもの朝として主人公は目覚められるのであろうかと考えている。でも、アレの予兆なども知らなくて、本当にいつもの朝なのであれば、それはそれで、何か生きる力の欠如を感じてしまう。幾多の震災を知らなければ、生きる力に欠如が生じていてもそれでいい。てんでんこという言葉を知ってしまった現在、被爆を知ってしまった現在、その欠如はどうなのであろうかと考えている。たぶん、震災前であれば、こういった小説も成立していたのであろうが、震災後なのである。内容は面白いけれど、何か腑に落ちないものが残っている。

「粉かぶり姫」
 最後の段落で視点が変わってハッとさせられる。ダラーと読んでいて、んっ、となって、何度か読み返して、わたしとばばあ、わたしと娘っ子の関係を考えていた。「放課後」に似た感覚。

「渋谷オリンピック」
 いい感じ。スーパーサイヤ人になるためには仲間の死が必要であった。本気(あるいは秘められた力)を出すには自分の心を解放させるきっかけが必要で、その力が学生のときに出せていたら。そういう分かりやすい設定はときに感動を生む。

「80点の面白い出来事」
 面白さがわからなかった。ダジャレと数字の並び替えの中に抑揚というものがなく、ドラマ性が見えなかったからだと思うが、あえてドラマ性を外したのかも知れないし、ドラマ性があったとして、標準的評価に近づいたとしても、果たしてインパクトは保たれたのだろうかとの思いもある。何となく考えついたのは、クリーム坊やはクリームパン、犬はホットドッグ(コッペパンに犬を入れたらホットドッグ)だから、焼きそばパンとホットドッグは100円でクリームパンは80円なのかなと。それとも何かの喩えが隠れているのか。

「瘤蠼螋」
 若き日の後悔や葛藤なんかがたき火であぶり出されて、なんてことはなくて、結局何をしたっていうのだろう。殺人ということも頭をよぎったが、万引き、いや、テストで0点、なんてことかも知れない。若さゆえの過ちなんて大したことないかも知れない。きっと、最後の五分に予想だにしない展開があって映画は終焉を迎えるが、それを観ることなく映画ははじめから繰り返される。その五分が本当は何もなかった過去を写しているのに、そこには永遠にたどり着けないなんて、少し盛り過ぎなんじゃないのかとかを考えたが、ニュアンスやシルエットだけで、実像というものの描写がまったくないことがこの小説の不満である。

「ムネモシュネ」
 そういうことを書くんだと、分かった気がしている。これは悪魔で私の中の葛藤であり、とにかく、私は私でいくという決意のようなものが生まれた。だから、素晴らしい作品だと思っているが、評価とはまた違う素晴らしさである。

「詩大将」
 ここに出てくる詩が良作なのかが私には分からない。小説なら自分の経験値を元に標準的に読み、あるいはジャンルなんかで好き嫌いを判別できるが、あまりに抽象で、また小難しい書き方は果たしてどう評価したらいいのであろう、もっと分かりやすく書いてくれればいいのにと思うが、そういうのは詩ではないのだろうか。
 構成の中で、最初に詩が誕生して、そこから小説を組み立てたのか、それとも、詩のボクシング風の小説の筋の中で、小説の世界観として作られた小説の中だけに存在するこれは詩なのであろうか。そんなことは気になったが、詩の言い合いっこだから、小説の筋はいらないのかも知れない。

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