仮掲示板

第184期の感想

「小野くんは芥川賞をとる」
 前作までのテーマ、作り方の弱点は平凡さだと思う。それを続けていけば、作品はやがて貧弱(パンチがなく平凡さが際立つ作品は読者に飽きを生じさせる)になってしまう。今作ではそれが垣間見えている。それを玉砕する強い平凡さを取り入れるか、別のアイデアを取り入れてもいいように思う。ただ、だからといって今が悪い訳ではない。

「ポタージュ」
 夫と私の不安定な描写(設定が曖昧だからなのか、精神の不安定さを意図しているからなのか、一人のヒトの心の流れに繋がりが感じられなかった)が作品に入る際に壁を作っているように思った。だから、なんかそれが不自然にうつる。作者の書く人物は好きであるが、前作と今作は人物に違和感があった。

「ケンタウロスと詩人」
 ケンタウロスと詩人を介してある情報を説明させる。ここでは言葉についてだ。作者の洞察の深さが作品の深さに繋がるが、それは成功していないようである。前半から4分の3くらいは意味(酔っぱらいのどーでもいいような会話が面白くなく《面白く書こうとしている感じはある》続くので、読者を引きつける魅力に欠ける)を感じられなかった。残りの部分をもっと突き詰めれば良くなったかも知れない。

「ホットケーキ」
 何か書こうとしていることは分かるが、それが成功していない理由は技術的なことなのだろう。私目線の小説であるのだから、そこを通せばもっと読みやすくなると最初は思ったが、そうではなく、語順や段落あけが原因のようである。金を借りたからといってケーキからホットケーキに変更する理由(ケーキもホットケーキも祝うことに変わりはない)にはならないと思うのであるが、買ったケーキより、手作りのホットケーキの方が劣るのであろうか。

「そんな君。そんな私。」
 途中で名前が変わってる。恋愛小説は一歩間違えるとすごく安っぽくなってしまう。精神的なものを読者に感じさせるかな、読んでいて少しそう思ったが、最後の言葉が安っぽさを増長させてしまったようだ。

「玉砕トライアングル」
 書き方からすると器用な性格は私にかかっているようであるが、見えない壁は器用とは真逆である。「玉砕トライアングル」にどんな意味(三角関係?)があるのかは知らないが、これは本筋(玉砕される)に入るためのまくらのような文であって、まだ玉砕までには至っていない。文字数に余裕があるから、本筋を書くべきである。もしくは、続き物としての序章なのであろうか。とにかく、足らない。

「五日目。」
 ニュータイプはヒトの核心である。

「健常」
 独り言をつぶやいても誰も響いてはくれないらしい。前作から言いたいことはあるようであるが、上手く昇華されていない印象である。こういう書き方が作者らしさである、と言えるには足りなく、粗暴さが残る。もう少し引いて文章を見て欲しい。「健常」と「障害」は良く言われることだから、いまさらな感がある。

「粃」
 情緒は感じられる(暴力的な描写が減ってわたしには読みやすくなり、エネルギーの消耗も減った)が、押し入れと仏壇の関係はよく分からない。「粃」の読みを調べるところからはじめて、1000文字から999文字になった意図を考えて「しいな」は三文字だと察知した。意味は分からなかったが、その後、三の連想が続いていく。999は、3で割り切れるのだ。それは分かった、では、その先は何なのであろうか。

「自画像」
 全然違うイメージ(ミイラや自殺)から主人公が自分を見つめ直すことには成功しているようである。砂漠の砂粒ふたつの違いを述べることのように、自分の絵を述べることはとても難しい。個性とは考え出したり、生まれたりするものではなくて、自分の中に存在するもの、自分自身である、というようなことを何かで読んだことがある。自分の絵とは何なのであろうか。とにかく、小説は成功(前作のように不自然さはない)しているように見える。

「森を統べる」
 非現実性があり、哲学性もある。非現実性は「神様とスパイ」と共通だ。小説なのだから、全ての作品が非現実性であることは自明であるが、ファンタジックな感じが、他の作品と違うのだと思う。他の作品は、実生活、現実の延長(実際は架空であるかも知れないが)を書いているように見えるから、その差異がファンタジックさを生む。

「いないいない」耳
 部分部分で重そうに言葉を表現する。それが高尚めいたイメージを作り上げるが、そこから何を汲み取ればいいのだろう。水難事故で家族を失ったのであろうか。「椅子たち」という複数形は、そこにあったヒトの存在を示している。煮魚は誰かの仕業なのであろうか。誰もいない部屋とも言っている。行ってきます。とは言うが、ただいま。とは言っていない。何かを書こうとして何となくイメージだけが通り過ぎて行く。そんな感じである。なぜ、自転車を使わないのであろう。行きにはバスに乗る、帰りは終電後であるのか。謎が尽きない作品である。

「神様とスパイ」耳
 一種ふざけた感じ、アメリカンジョークやユーモアといったもので構成された作品であり、比べてしまったのは「森を統べる」である。非現実的な設定は所謂、創作小説といったもので、最後の一文で結を出す方法は「森を統べる」にはないが、やはり、共通の創作方法を感じる。
 結局、最初に言っている。スパイだとばれないのがスパイなのだから、スパイのTシャツを着たスパイはスパイではないのだ。神様のTシャツを着た神様も同じで、人間に見つけられる前には存在しないと言っている。犬のTシャツを着ているのは人間であるかも知れないし、神様なのかも知れないが、犬(警察の犬かも知れないが)ではないようだ。存在の不確実性。あるいは名前を与えられた時点で物は存在を証明されるということ。不明瞭なカタチの中に鳥らしいカタチを見つける。すると、その不明瞭さには鳥と言う名前が与えられ、鳥だという証明を与えられる。少なくとも人間は存在を証明したがるものなのだ。

「家」耳
 言葉のチョイスと会話の面白さには感心をする。できる作者だからいいものを求めたい、という読者の要求も満たしている。安定して面白いし、形式もバリエーションに富んでいる。そして、馬鹿げたことを書く。でも、票を入れたいと思わないのは何故なのであろうか。基準以上だから、票を入れない理由はない。作品にもっともっと求めているからなのか。投稿数の少ない新人さんに票を優先したいからなのか。素人さの抜けた作品になってしまったからなのであろうか。危うさに魅かれる。安定に魅力を見出だせないからなのか。

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