仮掲示板

59期全作品批評 1-13

評に入る前に

 一年ほど前から投稿者として参加していたのだが、掲示板の使用は自分の作品に対しての感想をチラと見るにとどまっていた。
 しかし前期からの流れをつらつらと眺めるに、サイト『短編』をより良くする動きに自分も参加したいと言う、いや、要するに単なる自己顕示欲だが、ムラッと沸き起こってきたものだ。
 それでも話に入って行くにはやはり「めんどくさい」と言う気持ちが強すぎた。しかしここに来てハンニャ氏の全作品感想記事である。
 以前から読者としてハンニャ氏にはおおいに楽しませてもらっていた。投稿作品が公開されると大体彼のものから読み始めたものだ。しかしその作風は一貫していて、他者の評価など気にしねえよといった、どこか超然とした感じを与えていたものだから、予想外の彼の掲示板参加は私のモチベーションを一気に引き上げた。
 しかしながら全作品批評である。時間も気力も使うこと炎天下の汗の如し。そも読むことすら、全作品などもっての他、気になる作者のものと予選通過作ぐらいにしか目を通さないというほどの不精者の私である。それというのも読む価値のある作品が少ないと感じるからであって、それはここのところの掲示板の大体の意見と同感である。
 そこで私の批評のスタンスとして、サイト『短編』の作品レベルを底上げすべく、駄作は叩き、良作は褒める。これを徹底して行いたいと思う。
 とは言ったものの、やはり褒めるのは難しい。「なぜ嫌いかを聞くのはいい、でもなぜ好きかを聞いちゃいけない。その方が難問だから」と言う『ピーナッツ』(スヌーピーの出てくる漫画)でルーシーか誰かが言っていた言葉は本当のことだ。だから褒めるときの私は基本的に口下手だ。そこの所を了解して、褒められた作者はとりあえず褒められた感を三倍増しぐらいしておいてくれると嬉しい。褒め方については私もこれから研究して行くつもりなので、それもしばらくのことであればと願っている。
 あるいは私の批評にあって創作意欲をなくされる方が出てくるかもしれない。それはそれでしてやったりである。駄作製造機はとっとと消えろ。向上心のある作者だけ残れば良い。心のあるものにはどっちに進めば良いか、なるべく示しておいたつもりではあるが、私自身発展途上の人間のなので、まあ頼りないのは仕方がない。
 特筆しておくべきなのは、私自身ここ『短編』で、ほとんど評価されたことのない作者であると言うことだ。馬鹿ばかりが偉そうにするのは世の中の常であるが、まあ虚勢である。そこのところを、私の批評に触れる人は了解しておいたほうが良いと思う。
 最後に、お気づきかもしれないが私こと回転武士は、投稿者としては別名で参加しているということを表明しておく。これは単なる思い付きによるものなので、気分によっては今後正体を明かすかもしれないが、まあ過剰な期待は禁物だと言っておこう。



1 白い部屋。

 すでに作品として終ってる(笑)。冒頭10行は私なら1行にまとめます。

2 硝子の虫

 退屈。時間を返したまえよ。
 まず話者の悲観が全く伝わってこない。感情、情景はプラスチック板のむこうどころか氷山のむこうかとすら思える。
>プレパラートの上の、あの日のオオカナダモの気分である。
 オオカナダモの気分の何がお前に分かるのかと小一時間(ry

3 ビーアグッドサン

 笑ったので俺の負け。


4 忘れられた昼食

 今日の昼食の内容を忘れるその24分の1くらいの時間で私はこの作品についての全てを忘れるだろう。
 デニーズの店員がどのくらい嫌いなのか、ゴキブリよりも嫌いなのか犬のクソを踏むことよりも嫌いなのかガラスをキーとこする音よりも嫌いなのか、それとも本当はたいして嫌いでないのか、全く分からない。「オチなし山なし意味なし」を追求したものだろうか。真のナンセンスであると感じる。

5 吉右衛門と六甲おろしのおはようサンデー

 ラスト一文だけのために残りの九百何十何字を読まされた。くだらねえ、というのはこの場合やはり褒め言葉になってしまうのだろうか。

6 八丁林の探索は

 ふーんそうかいよかったねえ。
 子供だけが持つ貴重な感情を掴みきれていないし、表現出来ていない。子供を書くならば、その視界の狭さとあざやかな彩りを表現して欲しい。どうせ大人には分からないのだから、過剰になるぐらいで丁度良い。

7 逢魔が時

 へえそう。
 戯画的な緊迫感の全くない描写はニヒリズムゆえなのだろうか。みんな善人面している、こんなことは現代社会を生きる上での前提だ。あえて言われるまでもない。作品を語るときに作者についてはさむのはポリシーに反するのだが、悪い意味で若いなとだけ言っておこう。

8 医者と死神の微妙な関係

 なかなかに入り込めた。
>だって命って重いし
 の一文だけが馴染めなかった。神様、あるいは死神の台詞としてはあまりに軽薄だ。ここはもっと読者を打つ一言か、さもなくば何も言わないのが良い。

9 シバタ坂のデンジャーゾーン

 はいはいアヌスアヌス。
 ケツの穴と言いたいがために931字書いたというその姿勢に敬意を表する。書き手のニヤニヤ笑いまでが透けて見えるのが逆に面白い。

10 月はただ静かに

 日記以上のものではない。花火の迫力は全く伝わってこないし、浴衣姿も月の描写も形だけである。
 描こうとしたのは「光」だろうか。描けていない。

11 パッキン

「パッキン」と言う言葉の響きにあらぬ期待をかけて読んだのだが、なんだ、出てきたのは一瞬じゃねえか。
 まあそれはそれとして、主人公の変化を簡明に表そうとしているようだが、ああそうなのか、とそれしか浮かんでこない。蜘蛛を掴む覚悟の一瞬も、なかったはずはないのにスルーされている。
 恋人、姉、猫、蜘蛛、あらゆる要素が拡散してしまってほとんど収拾がついていない。ティッシュを一度に5枚も使う感覚は貧乏症の私には解しがたい。

12 三軒先の如月さん

 よくある擬人化オチにはがっかりした。
 しかし読ませる、次を期待させる文章力はある。

13 バドミントン

 映像喚起力はなかなかのもので、風景や風の感触すら鮮やかに伝わってくる。
>やれやれといったポーズ
 ここが、アメリカ的ステロタイプな表現にとどまっていることが残念である。
 また、丘の下の死体と影を容易に結び付けさせてしまう文章はいかがなものか。私としては死体と影は全く関係のない存在であって欲しかった。

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