第99期 #18

『銀河の夏、ニッポンの夏』

「ワタクシ、宇宙へ帰ります」
 連続回転に設定していたはずの扇風機が急に止まったかと思えば、どこからともなくそんな声が聞こえた。古式の扇風機を見つめながら、もしかして今の、と独りごちると、ええワタクシです、と扇風機が喋った。何で喋るのか勢いで問い質せば、日本語覚えましたと返ってくる。
 故郷、宇宙なのか。
「エエ。電化星雲トオシヴァ星H-30P30G系から参りました」
 で、帰るのか。
「ハイ。里帰りです。そういう時期だと覚えました」
 理屈は通っているので暫く様子を見ていると、盂蘭盆に先駆けて星の見える夜にアパートの窓から扇風機は帰っていった。回転した羽根から普段は出さない強さの風を巻き起こし、いとも容易く夜空へ消えた。実家時代から数えればゆうに十五年は超える同居生活はそうしてあっさりと終えたのである。帰る間際、これまでの御礼と称して、羽根四枚の内の一枚を置いていった。故郷の特別な石で造られているそうで、売ったらクーラー一台ぐらいにはなるらしい。どう見てもプラスチックにしか見えないのだが、とりあえず受け取った。扇風機の帰郷後、質屋に持っていくと案の定門前払いを受け一銭にもならず、それでも猛暑に対抗する術が欲しかった俺は、有り金を叩いてクーラーを購入した。
 熱中症の危険は去り、夏の終わりの夜空を見上げながら煙草を吹かす。満天の星空のどこかに奴がいると思って、夏のボーナス返せと叫んだら、翌朝隣人たちから暑さで頭がおかしくなったのじゃないかと心配されたがそれはまた別の話。

 一年が過ぎ、また訪れた初夏。クーラーも馴染み、暑気を待ち受ける準備の整っていた我が家だが、時代後れの扇風機があった場所は蛻のからで一年経つのは早いなと今更感じてしまった。当然のことながらクーラーは寡黙を極めている。溜め息めいた冷気しか吐かない。
 とある日。じんわり夏を体感しながら帰宅する途中、近所のごみ集積場に見覚えのある三枚羽根の扇風機が捨ててあった。あっ、と辺りに響くほどに声を出してやると、気持ちばかし羽根が回り始め、お前か、と詰め寄ると照れ臭そうに首を振る。
「マタ来ました」
 羽根の何処からか懐かしい声。クーラーが常備された今、奴の居場所はない。けれども両方使用している家が多いこともまた事実だ。
 今年も暑くなるといいな。
 暑さがなければ使い道のない存在なのに、肯くことを知らない扇風機はやっぱり首を振っている。



Copyright © 2010 石川楡井 / 編集: 短編