第98期 #10

アカシック・レコードをめぐる物語 彼岸編

「みんな予定調和なんだろ?」
「君はあの預言書のことを言っているのだろう。ただ、魂の成就を得た者は百回忌を迎えると新しく命を得て戻ってくるけど、自殺した者はそうはいかない。簡単には戻って来られないんだ。酷い話だと思うかい? だけどそういうものなんだ」

 気付けば一人、白い空間の中に立っていた。川の流れも止まりそうな世界で、まっすぐ伸びる一本の道だけがあった。
 自分の魂に未練は無かった。どうにでもなれと、宛ても無く、ただただ歩き続けた。

 ――知ってるかい? 『無慈悲な夢』と呼ばれる存在を。

 どれだけの道を歩いたのか。先の見えない道が延々と伸びるばかりで、いつしか自分が何者なのか、なぜ歩いているのかも解らなくなった。意識も霧の中にあるようだった。
 代わりにふと今、黒い物体の横を通り過ぎたことに気付いた。振り返ると四角錘形の土台があって、黒い水晶球が浮かんでいた。吸い寄せられるように、それに触れた。
 一つの映像が目の前に現れた。素晴らしい夢だった。家族も、友達も、皆笑っている。紺碧の空を流れる雲。季節に合わせて花も咲き誇る。その中で私は念願の夢を叶え、至高の誉れを手に入れていた。
 成就した魂。夢は最高のかたちで幕を降ろした。映像が終われば後悔だけがのし掛かり、その場でただただ泣き崩れるだけだった。

「それが『無慈悲な夢』と呼ばれる物の見せた“ifの世界”なんだ」
 男は口を止めると冷めたコーヒーカップに口を付けた。店内にはマスターが居るだけで、他の席に客は居なかった。
「アカシック・レコードが記録しているのは事実史だけだ。『無慈悲な夢』にはそこから洩れた“if”が詰まっていると言われている。ではなぜ水晶に触れた者は、無数の“if”から現れた一つの夢を見て、必ず泣き崩れることになるのか。おそらく『無慈悲な夢』は、アカシック・レコードの対(つい)の存在でも何でもなくて、その人間が一番願っていた夢を映し出す鏡なんだ。“ifの世界”は事実史と何の関係も無く、意味を成さず、ただただ触れた人間を傷付けるだけ。ひたすらに続く白い道も、いつ終わるのか解らない」
 男はカップの底に残っていた最後の汁を吸い込んだ。向かいの席で話を聞いていた男が、外を眺めたまま口を開いた。
「君はアカシック・レコードを見たのかい?」
「見たくもないよあんな物。それに見たことが無いからこそ、こうやって話しに来てるんじゃないか」



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