第96期 #4
球児らの声が聞こえる夏の庭
きたる年のヒーローめざして
部員たちがグラウンドを走っている。
健二はベンチに座り込んで、何気なく後輩たちの動きを眺めていたが、ゆらゆら揺れる陽炎が、人の姿をぼやけて見せていた。
8月も残りわずか。そろそろ秋の気配が見えてもよさそうなものだが、今年の夏はしつこく日本にへばりついていた。
夏の大会まではこの暑さも、気持ちと身体を心地よく燃焼させてくれたが、しばらく身体を動かしていない健二には、慣れた練習グラウンドのベンチにじっと座っているのも苦痛に思えた。
今年の野球部は例年以上に期待されていた。
健二自身もエースとして、手応えを感じていたが、結局3回戦で、昨年の県大会優勝チームにコールド負けを喫した。
甲子園も視野に入っていただけに、プライドもろとも健二は打ち砕かれた。
好投手とは言え、プロからお呼びがかかるほどの体格と素質もない。大学の野球部からのお呼びもいくつかはあるが、どこも強豪とは言えず、将来的にも不安がある。
むしろ野球は趣味程度にとどめて、勉強に専念しようかとも思うが、これで現役ともサヨナラかと思うと、やはり喪失感は大きかった。
「久しぶり」
振り向くと、キャッチャーの隆が彼の性格をよく表す明るい笑顔を浮かべていた。
試合で窮地に立たされた時も、何度この笑顔に救われたことか。
体操着の隆の手には長く健二が的にしていた、黒ずんだミットがあった。
「どうしたよ、ミットなんか持って」
「いや、受験勉強なんかしてっと、身体がなまってさ。あいつらの練習につきあおうかと思って」
「おまえらしいな」
「おまえもグラブ持てよ。ここに来てるってことは、やっぱりやりたいんだろ? どうだ。久しぶりに投げてみないか」
隆がミットをはめて、真ん中を叩いてみせた。
こいつ、さすが俺の女房だ。俺がどんな気持ちでいるのかわかってやがる。
「そうだな。たまにはいいか」
隆が予備のグラブを投げてよこした。
ブルペンのマウンドに立つと、後輩たちが遠巻きにこちらを見ているのを感じた。
ボールを握ると、しっくり右手になじんで、まだその感触が失せてはいないことが感じられた。
何球かの練習ののち、隆を座らせて、振りかぶって投げてみた。
「ナイスピッチン!」
隆がボールを投げて返す。
もう一球。そしてもう一球。
汗が滴り落ちた。
暑いな。
でも、気持ちがいい。
もう一球。
やっぱり、野球、やりたいな。
健二は何か吹っ切れたものを感じていた。