第89期 #1
ある夏の季節。イタリアでは異常気象により雨が降り続いていた。
ローマから続く荘厳優美な街並みも、長い雨によって今は幽霊のように生気がない。多くの川があるイタリアでも上位の長さを持つ、ポー川、アディジェ川、テヴェレ川なども、全域で降り続ける雨の影響で氾濫の危機にあった。かのバチカンでも、聖職者達はただただ神に祈るばかり。
そこへ、ジープに乗った一人の気象学者が現れた。
水かさが増す中、学者は四輪駆動を走らせてイタリアの都市部を回り、最新鋭の観測機器を使って異常気象の調査を始めた。
しかし、一向に原因が解らない。異常に降り続く雨の下、学者はジープの中で頭を抱える。
疲労した頭で考えても仕方ない、ここは一つ休憩しよう。学者はそう決めると、助手席にあるバッグの中から煙草入れと巻紙、そしてハサミを出した。
ハサミで巻紙を適当に切り、煙草入れから取り出した煙草の葉とハシシをそれに乗せて、器用に巻く。
火を点けて一服すると、直ぐに気持ちが良くなった。煙りだらけになった車内で、学者はぼんやりとしてまう。
――その時。誰かが車の窓をコンコンと叩いた。
見ると、黒いカッパを着て木の枝のような杖を持った老人が、窓の外に立っている。
窓を開けて何か用かと学者が聞くと、老人は、学者の噂を聞いて来た、と言った。そして、雨は自分が魔法の杖で降らせていると。
勿論、学者は一笑に付して信じなかった。しかし老人は、学者の前で杖を掲げて見せる。
雨が――ぴたりと止んだ。
老人が再び杖を掲げると雨が降り、また掲げて雨を止ませた。
学者は驚愕する。まさか本当に魔法の杖なのか、と。
そこで老人は学者に、自分の杖と学者の持つハシシの煙草とハサミを交換しないか、と持ち掛けた。
学者は快く交換に応じる。
ハサミを手にした老人は、その刃でチョキチョキ、切り絵のように雨雲を切り裂いた。途端に雲が消え失せ、青空が広がる。
一方学者は、老人を真似て杖を掲げていた。だが、雨は全く降らなかった。何度となく掲げてみるが、雲一つない青空が広がったまま――やはり雨が降る気配はない。
なぜ雨が降らないのかと、怒った学者は老人を問い詰めた。
すると老人はこう答える。
「だってそれ、近所で拾った普通の木の枝だし。魔法の杖は、わしが持ってる時だけ魔法の杖だからね」
老人は言い終えると、ハシシの煙りをぷかぷか吹かして、また雨雲を作っていった。