第88期 #24
戦争が始まってから二度目の冬。ロシア有数の大都市ロストフの郊外で、ヴァーニャは対戦車砲陣地の中で、かじかむ手を擦り合せていた。
都心部からは外れており家もなく、眼前には白紙のように広がる雪原と、そこに零したインクたる黒い森が点在するだけ。
本当に敵は来るのか。そう思った時、配置につけと怒鳴り声がした。慌てて対戦車砲の照準器に目を押し付ける。遠くの森でなにかが動いた。
「虎が来たぞ!」
指揮官の叫び声を聞いた瞬間、周りの風景がどろりと溶け、すべての音が遠くなり、なにかが混ざり合うような感覚が彼を包んだ。
森から虎が現れる。カスピトラ。インドの虎より一回りも大きい。体の縞模様はとても細かった。
森から虎が現れる。6号戦車ティーガー。ロシアの重戦車よりも一回り大きい。主砲のキルマークの帯は多くて縞模様のようだ。
隣にいる仲間が銃を撃った。だが遠くて外す。慌てて弾込めをする間に恐ろしい速度で駆けた虎が、火縄銃を構えようとした男を引き裂いた。
隣にいる対戦車砲が撃った。だが遠くて装甲に弾かれる。次の瞬間に虎の主砲が吼えて、その対戦車砲は陣地ごと吹き飛んだ。
虎は我が物顔で暴れ回り、爪と牙で仲間達を次々と引き裂いていく。逃げだす仲間達の中で、ヴァーニャは動かない。
虎は我が物顔で暴れ回り、無駄な攻撃を続ける対戦車砲を一つずつ潰していく。給弾手が逃げろと言ったように聞こえたが、ヴァーニャは動かない。
彼は信じていた。この硝煙と絶叫が満ちる場では、白い布を巻いた火縄銃を持ち、雪の中に隠れている自分は見つからないと。
彼は信じていた。入念に偽装したこの対戦車砲陣地は、発砲しないかぎり見つからないと。
はたして虎は彼の目の前で跳ねて腹を見せた。引き金を引くと、白い腹に穴が空く。虎はこちらに飛びかかって火縄銃を弾き飛ばしたが、それきりで倒れて死んだ。
はたして虎は彼の目の前で旋回し側面を見せた。引き金を引くと、装甲の薄い側面に穴が空く。虎は一瞬こちらに砲塔を回しかけたが、すぐに止まって動かなくなった。
「よくやったな! 勲章物だぞ!」
ようやく音がまともに聞こえ始めた。彼は自分が歓呼の声に包まれているのに気づく。陣地から出て一歩踏み出すと、つま先になにか硬い物が当たる。見ると半ば埋もれた、錆びた古い火縄銃だった。
「同じようなことを、やった気がする」
ヴァーニャはぼんやりした声でそう呟いた。