第88期 #12

夕焼けに立つ

励君はこのごろよく夢を見るようになった。
はっきりとよく覚えている、それはみおぼえのない大人や子供の顔、見たこともない風景や知らない家の中ばかりで、日中ふと思い出される、それがとても気になる。
おうちの人に話したりするのだが、お母さんもお父さんも夢のことではなんとも言いようがない。
フンフン、と聞いているうちに
「勉強しなさいそうしたら分かるようになるわよ」と、お母さん。
「そうだなぁ、わからないひとの顔でも友達の何人か、少しずつ混ざっているんじゃないか? 大人の顔だって先生とか野球の選手やちらっと見ただけの大人の顔だって覚えているもんだろ? 一度見たことがあると、昼間ならわかるところ夢中だとうまく判断できないこともあるだろう? ま、そういうことは心理学だな、すこし大人になったんだよ」と、お父さん。

それにしても、励君にしてみれば、見たこともないドアの色や材質、あけると知らない部屋が広がっている。
トイレだとおもってあけるとどこか日本風のお屋敷の大広間、それがわかるのが不思議だが励君も十五歳、もうすぐ中学生だ。時代劇のドラマのような大広間は認識できる。それが、どこで見たのか、記憶にないのだ。
むき出しのゴツゴツとした檜の肌が黒々とした欄窓の有る梁が大広間の天井を支えて、豪華であるが戦国時代のお城らしく荒々しく強さを感じる。
その部屋のドアは北欧調のモダンなデザインだった。
気になったから、図書館に行っていろいろな百科事典やデザイン写真集などあさって見た。
すると、はじめてみるものがどんどん増えていく。
もし励君が芸術家だったならこのような状態は神様からアイデアが降ってくるような奮い立つ歓喜だろうが、記憶の洪水がちょっと重荷になってしまっている。

その日、子供用のブランコに窮屈なお尻を下ろして悩んでいるのは不安で苦しいことだった。ブランコを揺らすでもなくはぁーっと夕焼けを見た。その赤い空を逆光に知らないひとが立っていた。
よく見かけるぼろぼろの衣服で公園に寝泊りしているひとだ。
ただ、その見かけない顔が夢で見た人のような気がしてきた夕日のまぶしさもますます、夢のように見える。

「よう、夢使だよ」
むし?
「無私だよ。おれ」
むし?
「無視かよ。お前なんかいないんだよ。こわいか?」
無視ってのはわかりました。
そのとたん、こんなよごれた人に、嫌気がポンとばくはつして。
励君はおとなになりました。



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