第87期 #31

群青色と黄緑色のマフラー

 青彦は営業車に乗って今日も舞子や垂水の住宅街に辞書を売りにまわりながら、ラジオを聴いていた。突撃電話プレゼントというのに当選したらしい女性がDJと話している。質問は好きな異性のタイプという平凡なものだった。
「透明な声をしていて、はだしでぴょんぴょん飛び跳ねてそうな人。それからあたしのためにクリームコロッケを揚げてくれる人……あと、首巻きを編める男子!」
 彼女のラジオネームは黄緑と言った。プレゼントに猿のシールをもらえるみたいだった。
(透明な声? ガラガラ声の自分は無理だ。それに裸足で飛び跳ねたりもしないし、料理もできない。だけど……マフラーなら編めるかもしれない)
 営業の成績は今日もビリで、このままでは山陰に飛ばされるのは間違いないと同僚にからかわれ、飲めない酒でも飲んでみるかと思ったが青彦は黙って帰宅した。辞書なんか今さら売れるわけはないのだ、とグチを言いたい気分を飲み込んで。
 ワンルームのベッドに寝転ぶと、なぜかラジオの黄緑さんのことを考えて(手紙書くのは嫌いじゃないし、文章なら俺も透明な声だせる)と思った。
 恋人どころか好きな相手もいなかった青彦は、翌日営業中に手芸ショップへ寄って、針やはさみ、それに毛糸を買ってきて編み始めた。色はもちろん黄緑だ。
(なつかしいな)
 青彦は学生のころ、恋人にもらったマフラーを電車に忘れたことがあった。必死に探したがみつからず、失くしたとも言いたくなかったので、同じ群青色の毛糸を買って姉貴に教えてもらって徹夜で編んだことがある。結局色使いでバレて、それが原因ではないだろうが彼女とは別れてしまったが、話がおもしろい子だった。青彦はいつも聞いてばかりいた。ラジオを聴くように。別れて十年たつけれど、彼女がくれたブローティガンの「愛のゆくえ」を青彦は大切にもっていて時々読み返す。ラジオの女に惹かれるのもそんな影響があるかもしれなかった。
 一週間かけてマフラーは編みあがり、それから青彦の次の課題はクリームコロッケを作れるようになることだった。いつもコンビニ弁当ですませていたが、包丁を握ってみるといい気晴らしにもなるし意外にコロッケは簡単なことがわかった。休日はダンススタジオに通いはじめた。裸足で飛ぶためにである。あとは手紙を書くだけなのだが、黄緑さんとは書けず、どうしても昔の恋人の名前を書いてしまいそうになって、結局一行も書けないでいる。



Copyright © 2009 宇加谷 研一郎 / 編集: 短編