第87期 #25
藍暗い空気の中、音は無く、不釣合いなシャンデリアのぶら下がった、小さな洋館の体を為す四角い空間に、一人立っていた。灯かりは無く、窓からの冷たい月明かりによって、四方を壁に囲まれる部屋の様子が浮かび上がっていた。
僕の向く先に、低いコントラストの視界に、唯一浮かび上がった赤いカーペットの、雛壇の如く敷かれた階段が在り、頭上の大きなシャンデリア――、そして四方それぞれに一つずつ、頭上の高い壁に貼り付いた、四つの扉がこちらを観下ろしていた。階段は、そのうちの正面の扉のもとへと繋がっていた。
自分の服の擦れ合う音と、コツコツと、靴の大理石を叩く冷たい音の中、正面の階段に向かって歩き、そして赤い階段を上ると、そこには天井を押し上げんとする、観音開きの思った以上に大きな扉。鍵穴を覗き込むと、オルゴールがどこからか聞こえて来て、二体一対で踊るガラス細工の人形が見えてくる。しかし人形と思ったそれは、実はしなやかに踊る老夫婦で、彼らは真っ暗な鍵穴の中で「ワルツ」を踊っているのだった。
キーンコオーン キーンコオーン
湿った空気と画一的な音の響く中で風を押し進める様に重いごおごおとした音が聞こえてきた。切れかけた照明。ここは無人の地下鉄の駅のホームだった。
トンネルから轟いてくる音が近づいて来たと思うと頭上どこからかアナウンスが鳴った。誰も居ないと思っていたホームに笛を銜えた駅員が一人立っていた。レールの上を銀色の車体が滑り込んで来た。するとホームに在った階段から大勢の人が下りてきて、下りてきた人達はいっぱいになって電車の中に全て納まった。
駅員が笛を吹くと扉は閉まり、人をいっぱいにした地下鉄は奥の黒い穴の中へと去って行った。僕は電車の発ったホームに一人取り残されていると知らぬ間に駅員は消えていて、唯一初めに聞こえた画一的な音だけが響いていた。また、誰も居ない駅のホームだった。
藍暗い空気の中、ぼんやりと様子の浮かび上がったここは、どうやら三つの壁に囲まれた小さな洋館。微かだが、耳を澄ますと、森々と雪の降る音が聞こえてくる。頭上には、圧迫感を覚える程のシャンデリアが一つ、音も発てずにぶら下がっている。月明かりの差し込む窓の外には、雪が降っていた。頭上の壁には、三つの扉が貼り付いており、目の前の赤い階段は、観音開き扉のもとへと誘(いざな)う。僕は階段を上り、暗い鍵穴の中を覗き込む――。