第87期 #22

レシート

 堀辰雄百円、川端康成百円、芥川龍之介百円。
 大型古書店が近所に開店してからというもの、枕元には百円本が並ぶ。
 一体いつからだろう。古書店の開店が先か、派遣切りが先かなどと考えつつ、本の山から今夜の一冊を手にとる。太宰治百円。


 ここ数か月、疲れが足らないせいか、眠気まで満たされていない。視界の端では、世間がしらじらしく明けていく。
 ふと、左手で残りの厚みを確かめつつ太宰を捲っていくと、巻末の辺りに何かが挟まっているのに気がついた。左手の指だけで感触を確かめる。しおりとは違う薄い手触り。またレシートか。
 他人のレシートには、人の生活を覗き見る楽しみがある。今までにも何度か、古本の中のレシートでニヤついたことはあったが。結末の後の結末にわくわくし、読み終えてここぞと捲ると、やはりそこにはカタカナが並ぶ一枚のレシートが挟まっていた。

 サケ、ツマミ、グラス――酒? 太宰は赤ら顔で笑った。
 ノート、チズ――地図? 太宰は旅に出た。
 レンタン――煉炭? 太宰が。
 私は、灯りを消した。


 翌日。午後。私は久し振りに車で出掛けた。
 今どきツマミから練炭まで売る店などあるのだろうか。何かの悪戯だろう。だが郊外の大型店ならあり得るか。悪戯を悪戯にすべく、私は太宰を伴い西へ向かった。
 大型店を片っ端から覗く。何でも揃うと豪語する店に何度も舌打ちし、いつしかレンタン、レンタンと口ずさみながらさらに西へ。彷徨った果てに、食品売り場と同じフロアで練炭を売る店を見つけた。
 買い物カゴにレシート通りの品物を入れ、レジ係にレシート通りに品物を渡し、受け取ったレシートを見比べる。このレシートを、あの本屋の太宰に挟んでやる。誰かがまた思い悩もうがどうでもよい。この悪戯だけが、その悪戯を悪戯にさせる。そうしたかった。

 久し振りの疲れを味わいながら夕暮れの国道を戻る。東へ折れる信号は赤だった。本屋の閉店にはもう間に合いそうもない。私は左折のウインカーを一旦戻し、FMのボリュームを上げた。U2のくどいリフが懐かしい。助手席の太宰を捲ると、巻頭写真の彼は私を覗き見、そしてニヤついた。――西へ?


 闇と光が、南の空で境い目なく妥協している。Bonoがやっと歌いだした。
 I want run――
 ――通りの名前なんて知るかよ。

 私は、私のレシートを私の太宰に挟み、その曖昧な境界線に沿って直進した。名も知らぬ国道を南へ。



Copyright © 2009 狩馬映太郎 / 編集: 短編