第87期 #20

サンタさんへ

 おれの名前は山田ヨハンゼルマリオといって、家族四人が相談した結果、誰も妥協しなかったためにつけられたものだ。だいたい山田さんかヨハンで呼ばれている。目も見えなくなって久しく、おれは特にすることもないので、居間の隅に丸まって頭の中に次々と浮かぶに任せた物思いに耽っていた。
 たとえば三丁目のllwyは田中さん家のハナにぞっこんで、絶対に子を産ませると意気揚々だったのは去年の話。あのあとどうなったのかなとか。序列最上位に君臨する長女の加奈子はまだ高校生で、この若さでもう三度中絶し、そのたびに俺に泣きながら謝る。それがちょうど一年前のことで、加奈子はその後すぐに消息を絶ち、たまにふらりとやってきては弟のケン太に二言三言して立ち去っていく。ケン太は部屋から出ることもなく去年与えられたPSPに興じていて、風の噂ではその筋では名のある狩人に成長したらしい。そもそもおれが飼われたのは父の借金と不倫旅行とが発覚して母が手首を切るという嵐のような混沌のなか、子犬を飼おうという加奈子の提案によるものだ。感情の爆発もやがて収まったが、母は父を心の底のどこかでは許してはいないようだった。台所のほうでは母が料理を作っているらしく、食器などがカチャカチャと擦れあって小気味よい。うまそうな香りも漂ってきた。父はここでは居心地の悪そうな様子だがあれ以来、帰宅時間は早まり、何かと家族のことを気にしているようだった。おれは少しむせった。






 やがて玄関が騒がしくなり、面白いことに父姉弟が揃っての登場。おかえりなさい、と言いながら母は手早くテーブルに料理を並べる。弟はケンタッキーのバレルを、父はよく冷えていそうなシャンパンを、姉はたぶんいくつかのプレゼントの箱を持っていた。あまりのことに動揺してしまって、目を開いても薄ぼんやりとしか見えなくて、立ち上がろうにも力が入らない。加奈子が近付いてきて、おれはマフラーでぐるぐる巻きにされとんがり帽子を被せられてしまった。「恋をしたんだ。内緒だよ」加奈子は前髪を短く切っていて、唇に指をあてそう言った。ケン太は「俺リーダーになったんだ」と衣を剥き取ったチキンを俺の前におき、好意を無下にするわけにもいかないからひとくちだけかじる。

 こんなにいいことが続くとなんだかおれもう死んでしまうのかなとか思うんだけど、まだ死ぬつもりはないのでもうちょっとだけここにいさせてください。



Copyright © 2009 高橋唯 / 編集: 短編