第86期 #5
毎日蕎麦を食っていた。蕎麦好きという自覚はあった。
異変に気づいたのは、子供が蕎麦アレルギーになり、妻が家の中で蕎麦を茹でることを禁じたときだった。たまたま近くの蕎麦屋が休みで、我慢できずにスーパーで蕎麦を買ってくると、妻は蕎麦を取り上げゴミ箱に捨ててしまった。私はいつになく苛々して大声で怒鳴り始め、そこで記憶が途絶え、気づいたら病院にいた。
「あなたは極度の蕎麦依存症です。蕎麦が切れたため激烈な禁断症状が出たのです」
「そんな病気があるのですか?」
「セックス依存症で入院したデヴィッド・ドゥカブニーをご存知ですか? ギャンブル中毒に買い物依存症など、高度で複雑な人間ならでは、どのようなおかしなものにも執着しうるのです。そして執着が嵩じると体にも症状が出ます」
「どうすれば直るんですか?」
「今のところ治療法はありません。毎日蕎麦を食うしかないでしょう。さもないと、再びショック症状が出て命の危険がありますよ」
貿易会社に勤める私にサウジアラビアへの出張辞令が出た。
私の持病を心配してくれた上司に、私はきっぱり答えた。
「大丈夫です。ぜひ行かせてください」
今回の商談を成功させれば昇進まちがいない。私は鞄に蕎麦を詰め中東に旅立った。
アクシデントはすぐにやってきた。ガイドに雇った男が蕎麦を持ち逃げしたのだ。私が肌身離さず持っていたため勘違いしたらしい。
私はガイド男の足跡を追ってダウンタウンを巡り、地元のマフィアと交渉し、ガイド男と交換に収監されていたマフィアのボスを脱獄させ、地元警察と銃撃戦、CIAの女スパイとのひとときの情事、さらには国際陰謀の鍵となる秘密情報を囮捜査で盗み出した。
24時間後、砂漠の真ん中で、私はようやく鞄を取り戻した。が、一足遅く、鞄を開け捨てられた蕎麦を傍のラクダが全部食ってしまった。
必要なのは蕎麦の成分だ。それは今このラクダの腹の中にある――。
妻と子供の顔を思い浮かべ、ここで死んでたまるかと私は強く思った。
そのとき、にぎやかな祭囃子を流しながら大型バスが通りかかり、中から水着姿の美女たちが降りてきた。
「私たちは2009年ミス・蕎麦です。日本の蕎麦のすばらしさを伝えるため世界中をキャンペーンして回ってます。よろしければ車内で蕎麦を試食しませんか?」
「よかった、地獄に仏だ!」
私は感激して叫んだ。
「みんなで手分けしてこのラクダを押さえてくれ。今からこいつに浣腸するから!」