第85期 #1

月銀奇譚

 灯り一つに、身も一つ。
 月に夜雲(よぐも)がかかる中。
 一人で夜道は、怖い怖い。

 そんな峠の暗い道、そこを一人でとぼとぼ歩く、行商帰りの男がいた。
 男はいそいそと歩く中、ふと前の方を見やったら。朧気に、うっすらと人影が現れる。
 近づくと、手元の灯りと僅かな月明かりで、おなごらしき後ろ姿が、だんだんだんだん見えてきた。
 どうやら、どこぞの娘のようだ。はてさて。こんな夜、こんな場所で、娘さんが一人とは。なんと物騒なことだろう。
 そうして親切心から、男は娘に声をかける。
 疑うことも露とも知らぬ、根っから心が、優しき男だ。

「娘さん、娘さん。こんな場所で、いったい何をしておられる?」

 優しく問いかける男の言葉に、娘はスッと振り返る。
 振り返ったその眼(まなこ)。夜の闇でも金色(こんじき)と、はっきりわかるそんな目だった。
 生気を纏う、艶やかな肌の色。銀のような灰色の、短き御髪(おぐし)が人らしからぬ美しさ。それが振り向き様に、夜風と踊る。
 おなごのあまりの美しさに、男はゴクリと息を飲んだ。

「人を待っておりますの」

 紅白混じる巫女のような装束で、不思議な出で立ちをした娘。憂いを帯びた深い瞳で、悲しそうにそう答えた。

「それにしたって娘さん。こんな峠でこの時刻、誰も人なんて来やしませんのに」

 気づかう男と、奇妙な娘。

「それに今夜の冷たい夜風。娘さん、華奢な身体に障りますよ」

 優しき男が困ったようにそう言うと、娘は「フフフ」と袖で笑う。
 そしてそのあと、こう言った。

「そうですね。だけどほら。待てば海路の日和あり。こうしてあなたが来てくれた」

 おなごはとても嬉しそう。
 男はゴクリと唾を飲んだ。
 満の月が充ちる夜。月にかかった夜雲の群れが、男のためだけ少しだけ、その身を横に反らしていった。
 ――月明かりに照らされた、おなごの半姿がそこにある。
 御髪から出た獣の如き銀色耳と、腰の辺りの銀色尻尾。
 優しき男は、己の目を疑った。
 そうして娘は、静かに寄り添う。男に寄り添い、頬染める。
 さすれば男は、声をあげる合間もない。
 その身はすぐに、冷たい夜風になっていく。

 誰もいなくなった、峠の夜道。おなごも暫く、現れまい。
 今日も明日も、行ってはならぬ。優しき男は、行ってはならぬ。

 灯り一つに、身も一つ。
 月に夜雲がかかる中。
 一人で夜道は、怖い怖い。



Copyright © 2009 アンデッド / 編集: 短編