第84期 #29

サーカス

 披露宴の最後の、ベタだけどやっちゃう花嫁からの手紙ってやつで、その朗読で俺は男のくせについ、もらい泣きしちゃうのでどうしたらいいって相談したら、適当に言ってるんだけどだいたい正解を引き当てちゃう友人の木村が教えるには、
「感動したくない時に思い出したい三つのエピソードがあるんだ」
「それ頼むわ」
「あ、トイレ」
 披露宴の待合室の壁際のエレベータに近いところに俺は立っていた。胸ポケットのチーフの形を調えた。
 俺は、木村はたぶんトイレで今から話を練るんだと思った。

「熊川くんは女々しいのう」
 手に水の入ったグラスを持った和田が近づいてきて言った。
 俺は和田を無視して、新郎の父親の背中を遠巻きにして眺めた。つまり、大学の後輩にあたる三島の父親の背中を眺めた。初めて三島の父親を見た。
 あの人が俺に大学時代に三万円貸してくれた人の背中かと、俺は思った。アルハンブラ宮殿の思い出を爪弾きたいがためにクラシックギターがどうしても欲しかったけど金の無かった俺は、新入生だった三島に教科書代が足りないなどと嘘をつかせて、三島を経由させて、三島の父親から金をせびったのだった。含羞を知らない時期。
 まわりを見わたす。四十代と三十代の男が二人と二十代の女が一人、俺と同じく三島の父親の背中を眺めていた。その視線は三島の父親を知らない人からの好奇の視線なのか、それともよく知っている人の視線なのか。その視線に三島の父親は気付いているのか、いないのか。
 披露宴で、新郎三島と三島夫人は檀上で主に、曲芸をする訳でもなく、にこっとしているだけなんだろうが、参席者からこの二人は夫婦になるんだという視線で見詰められる。その視線で二人は夫婦になるのだろうか。それとも俺たちが、夫婦だこの二人は、という視線で二人を眺めるから、俺たちのほうで勝手に、二人を夫婦と思うのだろうか。
「私に春が来ない」
 和田が能面の怪士に似た顔で言った。
 俺は三十四歳だった。
 三島の父親はどう見ても明日死んでもおかしくない七十歳くらい。未来に死ぬだろう。近い将来、死ぬに違いない。けれど死んだら三島夫婦に死に顔を眺めてもらえる。
 気づいたら濃緑のドレスを着た妻が傍らにいて、
「もう死にたい」
 と呟いた。一歳にやっとなったばかりの娘をいだいていて、それが窮屈なのだ。
 俺は言った。
「誰でも死ぬ」
「そういう意味じゃないし」
 妻は眠っている娘を俺におしつけた。



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