第82期 #33
路傍に生える草に目がいかなくなったのは、身長が高くなったせいなのだろう。
目線の高さは見る世界を変える。
子供のころはどんな雑草にも名前がついていた。
友だちを愛称で呼ぶように、自分で名前をつけた。
今はもうその名のほとんどを忘れている。
有り余る時間の使い道に困り果て、公園の片隅でどろんとしていた時のこと。
なんとなく足元の雑草をむしる。
ハートの形をした房を持つその草は、子供の頃ぺんぺん草と呼んでいたものだった。
私は昔を思い出し、軽く房をつまんで一センチほど千切れない程度に茎から引き剥がす。
同じことを数個の房にしてやる。
するとぺんぺん草は萎れたような感じになって、いかにもみすぼらしい姿になった。
それを耳元に持っていき、でんでん太鼓のようにくるくると指先で茎を回す。
房たちが飛び跳ね、からからから、と何かが弾けるような軽快な音が鼓膜を刺激する。
リズムも何もない無機質な音。
何の意味もない無駄な行為だったと、私は手を止める。
幼い頃はたったこれだけの事が人生にとっての重大事だった。
ただの雑草から不思議な音が聴こえてくる。
それは発見であり、好奇心の発芽だった。
こんなにも楽しいことがあるなんて、と、これだけのことに喜んだ。
分からないことがある、先の見えない世界がある、それは恐らく幸せなことなのだ。
私は足元に生えるほかの雑草たちに目をやる。
ぺんぺん草とは違う雑草たち。
彼らにもかつて、名前があったはずだ。
私だけの名前が。
もはや思い出すこともない。
感情はここの所ずっと平行である。
凹凸がない分、潤いもない。
遠くから子供たちの声が聞こえる。
時計を見ると昼の二時を少し過ぎたあたりを指していた。
ぺんぺん草の時代からもう二十年も経ったのだなと、ふと考える。