第80期 #37

白い髪の女

 静かな夜だった。
 女はアイスクリームを食べたいと言った。
 男――いま何時だろう?
 女――知らない……
 好きなものを頼めばいいと僕が言うと、女は受話器を取ってフロントに電話を掛けた。
 僕はビールを一緒に頼んでくれと女に言った。
 沈黙――男は少し離れた場所から女を眺める――男は何かを思い出そうとするが、何も思い出せず天井を見る……
「君……」僕は女に尋ねた。「どうして髪が白いんだ?」
 女は手鏡を眺めながら、白い髪を退屈そうにいじってる。
「生まれつきなの」
 手鏡に向かって赤い舌を見せたあと、女は何かを諦めたようにベッドの上へ倒れ込んだ。
「ほら、たまにいるでしょ? 真っ白なライオン――あれと同じでね、色素が薄いの」
「じゃあ君は、真っ白な人間だ……」

 真っ白な雪の中で/真っ白なライオンと/真っ白な女が戯れる/ライオンも女も雪も/白く重なりあって/もう何も/見えない……

 ドアをノックする音がした。眠たそうな顔のボーイが、アイスクリームとビールを運んできた。
 僕は缶ビールを開けた。
 沈黙――女は、透明な器に盛られた白いアイスクリームを眺める――まるで時間が止まったみたいに……
「子供の頃ね」女はアイスクリームを匙でつつきながら話した。「私いじめられてたの……みんなに白豚って呼ばれてた」
「太ってたのかい?」
「べつに……きっと白って言ったら豚しか思いつかなかったのよ……子供だもの」
 沈黙――遠くからサイレンの鳴る音が聞こえる――水の中を伝わるようなフワフワした感じの音……
 男――また会えるかな?
 女――商売で?それともプライベート?

 半年後、路上で女が死んでいるのを見掛けた。白髪の若い女だった。外傷はなく、きれいな姿で死んでいた。野次馬が大勢いた。僕は無性に酒が飲みたくなって、近くの酒屋でウイスキーを買った。
 女――私、死んじゃったみたい。
 男――知ってるさ。
 女――私の名前、おぼえてる?
 男――忘れた……
 僕はバス停のベンチに腰を下ろし、ウイスキーを胃に流し込んだ。バスが一瞬だけ止まり、ため息のようなクラクションを鳴らすとまた走り去った……
「まだ名前……」
 ふいに声がした。
「教えてなかったわ」
「君は幽霊か……」
 白い髪の女は、微笑しながら隣に腰を下ろした。
「ねえ、どうしてあの夜、抱いてくれなかったの?」
 女は僕の手を握った。
「ほら……あたたかいでしょ?」



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