第80期 #22

ばべぼぼぼべべ

 このほど姉さんの背中が神懸かっていることに気づいた。
 台所に立つ姉さんを居間から眺めていた時のことだ。姉さんはお嫁に行っていた。半年振りに実家に戻っていた。
 姉さんは嫁ぎ先からの帰還の理由をぼくに説明してくれた。
「不倫よ」
 姉さんと旦那さんは仲良しなものだと思っていたから、いささか驚いた。姉さんは大根を千切りにしていた。
「腹が立つね」
「いいえ」
 私もしていたから。

 ある午後に姉さんの買物に付き合わされた。姉さんはぼくの大学生活を訊ねた。ぼくは姉さんの婚外恋愛について詳しい説明が欲しかった。
「似合いそう」
 姉さんは売物のマフラーをぼくの首に巻いた。灰色の縞模様だった。そしてぼくを鏡の前に立たせる。
「ほら似合った」
 姉さんが健やかに笑うので、ぼくは後ろめたい気持ちになった。

 その晩には居酒屋に付き合わされた。
 ぼくはそこで姉さんに質問した。ぼくを不倫相手の男代わりにして遊んでいたのか問うた。姉さんは素直に肯定した。それどころか、男が傍にいないと仕方のない女になったと主張した。ぼくはそれが癇に障り、つまらない人になったと感想を述べた。姉さんは呟いた。貴方と真逆のことを仰る男性もいます。

 二人でとてもよくお酒を呑んだ。スーパーでお酒を買い、帰宅しても呑んだ。
 姉さんは上着を脱いでノースリーブのシャツ姿になっていた。姉さんの上腕部は円く細かった。肌色が白かった。腕が肩口から床に向かって伸びている。植物みたいだった。たぶん生気がないからだろう。
 姉さんはぼくに言った。
「また私を観察しているのね」
 午前一時に姉さんは酔い潰れてしまった。居間で大の字になって眠ってしまった。
 ぼくは姉さんの頭にスーパーのポリ袋を被せた。ポリ袋は不透明だったから、姉さんのお酒で火照った頬はもう見えなくなった。
 姉さんの鞄から口紅を取り出す。口紅で、ポリ袋のちょうど姉さんの唇の部分のカーヴを塗った。
 その瞬間のことだ。
 姉さんの貝割れの茎のような腕が持ち上がり、ぼくの前腕部を掴んだ。力が強かった。掴まれていない部分の肉が盛り上がるほどだった。
 姉さんは言った。ポリ袋の向うからだったから、声がくぐもっている。
「どういうつもり?」
「ぼくの知らない貴女にならないで欲しい」
 姉さんは答えた。ばべぼぼぼべべ。ポリ袋が唇に触れてしまい、きちんとした発音にならなかった。
 ぼくはそれに言葉を返した。
「べばぼ、ばべば」



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