第80期 #19
山に沈み行く鈍い赤色の太陽を横目に見て、あぁもうそんな季節なんだ、と思った。
今日は風が冷たい。私の足を支える瓦も熱を失いかけていた。このままでは日が落ちればすぐに寒くなってしまうだろう。
私は休めていた手を再び動かして、張りなおした網戸をはめた。手前へ奥へと、二度三度ずらし出来を確かめる。思いのほか滑りがよく、私はその結果に満足した。
昨日のうちに網戸の溝を掃除したかいがあったというものだ。
気のよくなった私は上手くはまった網戸を奥へ押しやり消えかける太陽のほうへ顔を向けて言った。
「今日はもうお別れだけど、明日も暖かくしてくれよ」
明日は他の窓の網戸を張らないといけないのだ。だから、寒いのは勘弁してもらいたい。
背筋が奇麗なカーブを描いてしなる。外気にさらされたそれは微かに息づき始めていた。
手の中のものに直接刺激を与えながら、唇が上半身に赤い跡を残していく。チリっと感じる痛みと、宥めるようにそこを舐めあげられる感覚に脳の中枢が混乱していく。
まだ散らない桜が、左側から道に覆い被さっている。やさしく風が吹き、花びらが逆巻いて、舞い上がり、アスファルトの道に散る。右側には木々の茂った斜面が続く。青々としている木もあるし、裸の木もある。
桜吹雪の向こうには、こぢんまりとした佇まいの、茅葺きの屋根を被った、古く黒ずんだ木の門が見える。門の前には、名前のわからない、鮮やかなピンク色の花を付けた木が、こんもりと植えられている。
春だった。
何の鳥が鳴いているのかはわからないが、春だった。春の午前十時だった。
「おはようさん」と色褪せた青い作務衣を着た、背の高い、薄化粧の若い女が箒で道を掃きながら声をかける。
「あ、おっ、おはよう、ございます」私は緊張しているようだった。
「いい天気ですね。お散歩ですか?」
「はい、お散歩です。ところで、美人ですね」思いがけずに口が滑る。
「そうですね」と女は照れた様子で、下を向き箒を動かす。
春だった。