第8期 #1
与太郎はいわゆる心霊オンチだ。
皆が理解できないのは、心霊オンチとは幽霊を信じないことではなく、幽霊が出てきてもぜんぜん怖くないというところである。
手に負えない情緒障害だな、と友人たちは与太郎を面白がり、ひとつの趣向を考えたのだが、それは、彼に深夜車を運転させ、有名な心霊スポットに向かわせることだった。
外人墓地に近い国道沿いで、「魔の交差点」と呼ばれる場所である。
猥談をしたりジョークを飛ばしたりしながら、同乗者たちはしばらく成り行きを見守っていたが、これが瓢箪から駒になった。
かなり前から奇妙な気配を感じていた奴もいたようだ。
ラップ音が聞こえるよ、とふいにひとりが大声を出したので、全員が、おいおいと、顔を見合わせた。
なんとも切ないうめき声もどこからか湧いてくる。
いつもは幽霊など信じていない連中だから、こうなると俄然パニックになった。
と、その時突然、フロントガラスに多量の血がぶちまけられて、みんなは、昔ここで轢き逃げされた後、何台もの車の下敷きになって身体を引き裂かれて死んだ男がいたという噂を、悲鳴とともに思い出した。
今まさに、全面、赤く血塗られたガラスの天井の上から、男のちぎれた「頭」だけがずり落ちてきたのは、その怨念で人間を死の世界に引きずり込むつもりだからに違いない。
見たくもないが、目の前の出来事はどうしようもない現実なのである。
何ということか、普通の人間ならここであまりの恐怖にハンドルを切り損ね、そのまま交差点に突入して対向車と正面衝突し、大惨事になってもおかしくない場面のはず。
いや、そうであるからこそ、車を運転しているのが、並外れた心霊オンチだったのが幸いした。
しかも、与太郎が「大丈夫だ、すぐ明るい場所に出るよ」と落ち着いた声で言いながら、しっかりとハンドルを握りなおしたのには、目の前の幽霊も驚いたのか、瞼を瞬いた。
考えも及ばぬことであるが、世の中には窓から幽霊が覗いて眉一つ動かそうとはしない男も実際いるのだと全員感嘆し、これで助かると安心もしたのだが、それは束の間のことだった。
けたたましいブレーキ音とともに、次の瞬間、大型トラックが横から飛び出してきて衝突し、車はぺっちゃんこ、全員あっけなく死亡してしまったのである。
誰もが凍ったように見つめたフロントガラス。
与太郎がその時、なぜ赤信号に気づかなかったのかは、謎のままである。