第79期 #41
昼下がりだった。
「なんかね、そこの駅でね…」
路上を擦れ違う通行人の口から、ふいに話が聞こえてきた。
「ベレー帽かぶった頭のおかしな男がね、駅で暴れたんだって…」
駅の入口は――すでに野次馬の群衆で膨れ上がっていた。彼らはなぜか一様に、喪服のような黒っぽい服を着ている……なぜだろう?
僕は黒い群衆を掻き分けながら駅の構内へ入って行った。二十人ほどの警官が群衆の真ん中に集まっているのが見えたが――ベレー帽の男など僕にはまったく見えなかった。
僕は切符を買い、自動改札を抜けて駅のホームへ向かった。大きな紙袋を抱えたお婆さんや、無表情な女子高生と擦れ違った。
電車を待つ間、僕はホームで煙草を吸った。近くにいたカップルのお喋りが、ふと耳に入ってきた。
「明日ね、地球が終わっちゃうんだって…」
「そんなわけないさ」
「ホントよ…」
三本目の煙草に火を点けたところで電車がやって来た。カップルのお喋りはまだ続いていた…
僕は電車に乗り込むと適当な場所に座った。車内はガラ空きだった。僕から離れた場所には一組の老夫婦とお坊さんがいて、割と近い場所に若い女が一人座っていた。
「ねえお爺さん、地球最後の日をどう過ごしましょうか…」
「不安なのかい?」
「ええ少し…」
またその話か…。狂った男といい、喪服の群衆といい――誰か偉大な人間でも死んだのだろうか? お坊さんはなぜ電車なんかに乗ってるんだ…?
ふいに若い女が、僕を見てウインクした…
「死んだのよ…、大切なものが…」
やがて僕は電車を降りた。駅舎を出て空を見上げると――灰色の雲間から、こぼれるように太陽の光が差し込んでいた。僕はポケットから紙切れを取り出した。簡単な地図が書いてあるのだ。駅と薬局と、ちょっと入り組んだ道――地図どおりに歩いて行ったら――五分でアパートに辿り着いた。
僕は部屋のドアをノックした…
「あら…」
開いたドアから、妹が顔を覗かせて言った。
「ずいぶん久しぶりね…、ちゃんと生きてたんだ…」
妹は妊娠している――お腹が風船みたいに、ポッコリ膨らんでる…
妹は時間をかけて珈琲を淹れてくれた。僕は彼女と長い話をした…
「不安なの…、いろんなことがね…」妹は、膨らんだお腹に手を当てて言った。「この子、今どんな気分なんだろ…。ほんとは外に出たくないんじゃないかな…」
…そんなことないさ
…じゃあ兄さんは、どんな気分だった?