第79期 #1

バリア

 心地よい夢から醒める。
 私は欠伸をして、煩いデジタル時計を撫でた。ベッドに潜り、夢へ戻ろうとする。
「奈美ー! 起きないと遅刻するわよ!」
 ドア越しの階下から母の呼び声。高校生の朝という現実に引き戻される。
「んー! もう起きてる! 今行くって」
 大声で母に返事をすると、しぶしぶベッドから起きる。ぼさぼさの髪を触りながら、床に足をつけ立ち上がる。
 首を回しながら、私は眠気眼で歩いた。ドアを目指して。確かに歩いたはずだった。
 ――え?
 何かに阻まれて、それ以上足が出ない。歩いても歩いても、ベッドから三十センチ程度までしか進めない。
 ドアまで辿り着けない。一気に目が覚める。何が何だか解らない。
「なに、これ」
 目の前の宙を手で触ると、柔らかい感触がある。弾性があり、突くと軽く押し返された。

 ――どうやらその感触は、ベッドをぐるりと囲っている。壁のように隙間なく。
 四方を叩いた。蹴ったりもしたが弾き返されて無駄だった。
 ……出られない!
 異常な事態に私の冷静さは十分間で吹き飛んだ。途端に息苦しさを感じる。パニックに陥り血の気も引く。真っ青になっているのが自分でも解る。
 私は悲鳴にも似た声で叫んだ。
「お母さん! 助けて!」
 喉が裂けんばかりに何度も叫ぶ。

 ――何の反応もない。近所中に聞こえてもおかしくないのに。
 その時、
「奈美ー! 遅刻するぞー!」
 ここからでは届かない斜め向かいにある窓の外から、公平の声がした。毎朝一緒に登校するために訪れる私の幼馴染み。
 涙がこみあげる。
 こうへ――。
 だが、私が呼んでも声が出なかった。
「今出る」
 私に似た女の子が窓を開け、彼に声をかけていた。
 そんな……私はここに。
 頭の中がグチャグチャになる。彼に助けを乞いたいのに。
 彼女は窓から離れると、制服を着て登校の準備をしている。
 私は彼女がそうしているのを見ていた。見えない壁を叩き、出ない声で泣きながら。涙で視界が歪み、押し潰されそうな心と体が悲鳴をあげた。

 準備が済んだ彼女は、私の部屋から出て行こうとする。
 そしてドアを閉める直前、私と彼女の目が合った。
 彼女は笑っていた。
「そこで朽ちていけ」
 残された言葉と共に、ドアが閉じられる。

 私はなぜか自分の手足を見た。爪が剥がれている。
 小指の先が溶けていて腐った林檎を思わせた。
 床には、抜けた歯も転がっていた。



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