第77期 #27

ホーム・ホーム・ホームレス

 日本の一番真ん中に、保険会社で働く26歳の女がいました。
 女はホームで家に帰るの電車を待っていました。ひとりが嫌いな女は、妹の帰りが遅くなることを思い出して家に帰るのを勝手に拒み、電車を何本もわざと乗り過ごしました。
 会社の同僚と久しぶりに飲んだせいで女は少しばかり酔っておりました。そして寝不足のせいで頭がぼーっとしておりました。ふらふらとおぼつかないあしどりで駅のホームをぐるぐると回っていると、女と同じように酒の入った中年のオジサンや塾帰りの小学生、携帯メールを打つ女子高生、ケーキ屋さんの箱を持ったサラリーマンが女の前を次々に通り過ぎていき、電車が到着すると乗り込んでそれぞれの家に帰っていきました。その当たり前の光景を女はなぜだか懐かしく思い、そしてベンチに倒れこんでそのまますーすーと寝息をたてて少しの間眠ってしまいました。
 はっと気づいて目を覚ますとあら大変、腕時計は夜11時をさしておりました。ところが女はちっとも慌てず、履いていた黒いハイヒールを脱ぎました。そして「仕事めんどくせー」と呟いてからまた眠りの世界に入っていきました。
 次に目を覚ましたときは日付が変わっていて、腕時計は朝の10時をさしておりました。いつもなら会社についている時間に女はホームにいて、ただ呆然と昨晩、何が起こったのかわからなくなったように立ち尽くしていました。

 気が付いたら、女は少しのあいただけホームレスになっていました。
 
 とりわけストレスがたまっていたわけではありません。少しばかり寝不足で仕事を面倒くさがりはするものの、悩むことなど女にはありませんでした。いたって健康な体で、ひどい頭痛もなくけろりとしていました。何やってるんだろう、と自分を少しばかり疑ってから女はハイヒールを履きなおし、服装を正して次に来た電車に乗り込み、普通どおり会社に通勤して遅刻しましたと言って先輩に怒られてから、女はいつもの一日を過ごしました。
 昨日何があったのかをよく覚えていません。
 家に帰りたくなかった理由も、本当のところはよく分かりません。家にひとりでいることの寂しさ、ただそれだけではないただの一晩だったのかもしれません。
 しかし、もう一度お酒を一口飲んだとき、電車を乗り過ごしたとき、そして家に帰るときに、女は必ず家に帰らなかったことを再び思い出すでしょう。
 今日は家にまっすぐ帰ろう、と女は思いました。



Copyright © 2009 暮林琴里 / 編集: 短編