第77期 #1
薄暗い路地の中、中年の男が伏し目がちでヨロヨロと立ち上がる。
突然降り懸かった恐怖に、男はその身を震わせていた。
体中から脂汗が吹き出し、流れる。口の中も、みるみる乾いていく。
足がもつれてバランスを崩し、またその場に倒れ込んだ。
男は思った。まるで生きた心地がしない。
普段はよく耳にする何気ない雑音も、今の男の思考回路には全く届いていない。
代わりに男の頭の中にあるのは、死に繋がるという発想。不吉な感覚が様々な連想を生み、不安と一緒に男の身体を駆け巡った。
こういう時、人はよく走馬灯のように過去の出来事が頭をよぎると言うが、男の頭をよぎったのは、何もない真っ暗闇だけだった。
そんな悪夢のような自分の人生を、男は誰よりも呪う。
だがその時、絶望の中に一筋の光明が差し込んだ。
落とした愛用の杖を、男はやっと見つけることが出来たのだ。
何よりも大事な杖を、男は愛おしそうに撫でた。
そして杖を器用に使うと、フラフラとした調子で暗い路地から抜け出していく。
そうして通りに出て明るい街灯の下に辿り着くと、男はその顔を上げた。
今も昔も男の盲目の眼には何も映ることはなかったが、その時だけは街灯の明かりが爛々と映り込んでいた。