第76期 #22

檻の中の仔猫

 おれの息子が仔猫に灯油をかけて火をつけた。掌に乗るような産まれたばかりだった。息子に理由を訊いた。息子は舌打ちした。
「学校のプリントに小便をしやがった」
「小便をしたからと言って焼き殺していいわけがないだろう」

 おれは十三才の息子を殴れなかった。自分の学生時代を思いだした。
 ゼミに仲の悪い後輩がいた。酒宴の席上、その後輩と酔って口論になり、おれはお絞りを乗せる皿を投げつけられた。後輩は頬をかすめさせるつもりだったらしいが、皿はおれの額にあたった。周囲は凍りつき、おれは正義は自分にあると確信し、後輩を外につれだした。後輩は謝罪した。おれは言った。
「そこに車道があるから、ひかれて死んで侘びろ」
 仲裁のために数人がまわりにいた。かれらが言った。
「非があるからと言って、殺していいはずはないだろう」

 引っ越した。仔猫は逃げられないようケージに閉じこめられ、ベランダで焼かれた。それを近所の人間が見ていたから、おれたちはその家に住めなくなった。
 妻は言った。
「あの子は死んだら、神様に裁かれて地獄に行くのよ」
 同居していた母親はこう言った。
「死んだおじいさんもね、戦争でひとを殺したのよ」
 神や過去も関係ない。責任はおれたちにある。

 怖かった。息子がつぎになにをするかわからなかった。おれは働く意欲をなくし、妻がパートでかせいだ。収入が下がり、ちいさなアパートでくらした。母を養うのは無理だと思い、弟に世話をまかせた。
 なんのために生きているのか分からなくなった。息子はふつうに学校へ行き、生活している。ただ金がなかったから思わぬ不便をさせることがあり、その不便に出くわすたび、息子は舌打ちした。おれたちは、それにただ、怯えた。恐れ戦きながら、なにをすべきか分からず、おれたちはただ、暮らした。

 数年が過ぎ、弟から母の訃報をきいた。親族とは交流を絶って久しかったが、葬式にはでた。
 光あふれる午前中に、親族はおれたちにあたたかい視線と言葉をくれた。とても心配をされていた。おれは気恥ずかしさで一杯になった。
 義妹がおれの息子に言った。
「あなたのことを怖がったりしてるわけじゃないのよ」
 息子はその言葉に舌打ちで返した。おれはすぐさま息子を殴った。
「それが人に向かってする態度か」
 恥ずかしくてたまらなかった。おれはこの恥ずかしさを、なんとしても息子に伝えなければならないと思った。

 という小説を読んだ。



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