第74期 #23
父さんが自慢した。「おいの作る豆腐は一番旨い」夕飯には必ず豆腐が食卓にある。
物心つかない頃にはとても不思議だった。
もっとも、幼いから理由も判らず豆腐の旨さも判らない。
それでも食べ物も毎日食卓に登場すると、それだけで不快な気分になってくるものだ。
小学校も三年生になると、父さんの豆腐が憂鬱になった。毎日自慢の豆腐は売れ残っていて、毎晩食卓にまわっているのだ。子供ながらに判ってきた。結局、残飯整理ってこと。そして、その憂鬱は父さんへの不快感になってしまった。それでも、父さんは「おいの作る豆腐は一番旨い」って言っている。
父さんの店は、海岸線の県道にある。赤色の屋根が目立っている。県道には車の往来が少なくない。店の前には県道をはさんで海が広がっている。豆腐のニガリは天然の恵らしい。海岸線の豆腐屋。こんな所で売れるわけない。
海と反対側には坂道が続いている。その頃の小学生の僕には坂のウエは遠い所だった。とても遠い。とてつもなく遠い。
ある日、憂鬱に耐え切れなくなって、坂道を上がって行こうと決心した。決心するのに1ヶ月はかかった。ちょっと大袈裟だが本当に大袈裟だが決心した。
坂道を登り始めると何処まで行ったら辿り着くのか。一生懸命に登った。僕の額から水が出た。汗だ。何時間もかかった感じがした。僕は時計をもっていないので時間は判らなかった。登っている途中に太陽が動いて行った、登っていく途中では誰も会わなかった。僕はドキドキしていた。
登り着くまで振向かなかったことは僕の臆病な心の性だ。
坂のウエは明るかった。何もない。だだ明るかった。一生懸命に明るかった。キラキラ明るかった。
何が憂鬱だったんだろう。明るかった。登ってきた坂道を見下ろした。少し曲がっていたのだと気がついた。
坂道の遠い、遠い所に赤い屋根が見えた。僕の家だ。父さんの豆腐屋だ。海がキラキラ輝いて小さい赤色で惜しい。僕の憂鬱だ。
不思議に少し歪んで見えた。
坂のウエからみた景色を今も忘れない。一生忘れない。遠い記憶の中に確りとある。食卓に並んだ豆腐が今日からはご馳走になるかと思ったが、やっぱり憂鬱でしかない。
それでも豆腐は美味かった。