第70期 #22

犍陀多の背中

 芥川の「蜘蛛の糸」を思い返していた。
 お釈迦様がもし犍陀多(かんだた)の善行を思い出されることがなかったら、どうなっていたのだろう。・・・・・・。


 研究室で机に噛り付いていると一人の白人女性が僕に話し掛けてきた。彼女はなかなか流暢な日本語で話してきた。
 彼女は今度ここの院を受験するとのことだった。ここは良い所ですかと聞いてきた。僕は居やすい所ですよと答えた。
 彼女は僕に、私をケイトと呼んで下さいと云った。最初ごそごそと自分の名前を云っていたが、日本人には覚えにくい、だからケイトと呼んで下さいと彼女は云った。
 留学生枠の入試は面接と小論文があった。小論文は日本語で書かなくてはならない。僕は比較的小論文が得意だった。彼女は書くことは苦手だと自信のない顔をした。
 その日から僕は彼女の小論文を見てあげた。彼女はいつも夕方に研究室に来て書いてきた小論文を僕に見せた。僕はその添削をした。
 ある日、夜も遅くなり彼女をアパートまで送ってあげることにした。彼女は遠慮しながらも僕の車に乗ってくれた。頭を使った後は甘い物が良い。僕はコンビニに寄ってシュークリームを彼女におごった。僕達は親しくなっていった。
 ケイトの小論文はそれを得意とする僕から見ても酷いものではなかった。いくらか日本語の間違いと時々論点がずれることがあったが、闊達な視点でテーマを捉えてくるのには魅力がある。合格はできるだろうと僕は思っていた。
 彼女の受験日が近づくにつれ、僕は学期末の課題に忙しくなってきた。大丈夫、こことこの単語を直せばいいよと、一読して彼女に返してしまう日もあった。受験の前日、彼女は大丈夫かしら、合格できるかしらと僕に聞いてきた。僕はあとはよく寝るだけだよと、シュークリームを手渡して彼女を帰した。
 入試が終わり、彼女は何度か研究室に来たが、課題に忙しい僕を見て段々と研究室に来なくなった。
 僕は最後の課題を提出し終えた時、先生から何某というイギリスの女の子を知らないかと聞かれた。ケイトのことだと分かった。この前の会議の発表で彼女は不合格になったとのことだった。
 今学期の課題提出が終わり、僕はコンビニに寄ってシュークリームを買った。助手席の鞄の上にそのシュークリームが置いてある。買ったはいいが気が咎める。
 僕は車を運転しながら、蜘蛛の糸を登りきった犍陀多の姿を思い浮かべていた。



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