第7期 #11

カート選手権

 組織からは過度の期待をかけられている。このシリーズで組織のプレゼンスは順調に上がってきているらしい。非合法のレースを極東の数百万の人々が固唾をのんで見守っていると聞かされたときには強い違和感を感じたものだが。
 デビュー直後のころ先輩がプレゼンスの概念を教えてくれた。
「テレビの視聴率と思えばいいわ。それとも露出度と言えば分かる?」
 結局私は「走る広告塔」という割のよいパートをやっていることになる。夫には秘密だ。組織は自らと同等の真摯さを私に対しても要求するので、気軽に取り組めるものではなかった。だが今となっては、そこから得られる刺激なしでは主婦の退屈な日常を維持できなくなってしまった。



 いきなりのフルスロットル。カートのフレームが軋む。手からハンドルが引き離されそうになる。加速したまま第一コーナを攻める。親子連れを轢きそうになりラインが膨らむ。すかさず後ろからキムが追いぬいていく。ショートトラック出身の彼女のライン取りは確かだ。メインストレートに入る。止めてあるワゴンの数が普段より多い。人々が群がっていて邪魔だ。組織のポップ広告が目に飛び込んでくる。車載カメラの設置がうまくいったか気がかりだ。ホイールの直近に取りつけた補助エンジンが熱を帯び始める。もっとも主エンジンである私の心臓はレース前から回転数が上がりっぱなしなのだが。今日は雑念が多い。第二コーナ。無難にまとめる。ピットロードが近づいてくる。オバチャンがソーセージを爪楊枝に刺して私に薦める。やんわり断る。最終コーナ。タイヤが嫌な音をたてる。そして混雑するストレート。限界ぎりぎりの疾駆が続く。商品を山積みにしたカートが横から次々飛び出てくる。巧みにかわし奥のレジに入る。隣りのレーンではキムがやや先行している。エプロンをつけた女性が赤外線を操るのをじりじりと待つ。
 見るとキムが支払いを済まそうとしている。負けられない。私は叫ぶ。
「キム、お弁当用の箸を忘れないでね!」
 キムを担当する女性が、釣銭をつかむのをやめた。



 突然何かを忘れている気がして、読んでいたハングルの教材を閉じた。窓を見ると雲海の上に夕焼けが広がっていた。機体が降下を開始した。隣の席のオバチャンが呟く。
「戦いは終わっちゃいないんだよ」
 確かにそうだ。まだ気は抜けない。そしてその一言で私は思い出した。今晩の我が家の買い物がまだ終わっていないということを。


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