第67期 #17
「貴方、私が死んだら、あの桜の下に、埋めてください」と、病床のお里は血の気のない痩せ細った腕を庭の方に伸ばして、掠れる声で云った。障子の合間から覗く庭には、子宝に恵まれなかったお里が老後の楽しみにと、去年植えた桜の苗木があった。
「相わかった」と、宗右衛門がお里の手を握り締めると、お里は事切れてしまった。今まで丈夫に暮らしてきた妻が質の悪い感冒に罹るとは露思わず、あれよあれよという間に、四十七歳でこの世を去った。自責の念に駆られた宗右衛門は生まれて初めて号泣した。泣くことでしか目の前の現実を理解できなかった。
葬儀はしめやかに営まれた。参列者達はお里の死を悼んだ。武士の宗右衛門は涙一つ見せなかったが、その目には悲しみの痕跡がくっきりと見て取れた。
宗右衛門は遺言通りお里の亡骸を桜の苗木の下に埋葬した。そして、その苗木を亡き妻と想い、大切に育てた。
それから十年が経った。宗右衛門は齢六十になり、頭はすっかり白髪になっていた。翁は今日も庭に出て桜の手入れをしている。桜は成長こそ早いが虫がつき易い為、翁は細心の注意を払っていた。その甲斐あって桜の幹は若々しく成長し枝振りもそれ相応になり、春になると美しい花を咲かせて、翁を慰めた。今年もその季節が来たのである。