第59期 #21
ある冬の午後、僕は一匹のカメレオンを拾った。そんな時期にカメレオンが残っているのは本当に珍しいのだが、そいつは電信柱の根元で地面と同化するように縮こまって震えていた。嬉しくなってすぐに下宿に連れ帰りその貧弱な身体を温めてやると、そいつは愛嬌のある顔でこちらを見つめつつ餌をねだる。
僕は中学時代に生物の授業で習ったカメレオンの飼育法を思い出しつつ書店に走り、ここ数ヶ月のベストセラーを買ってきて与えてみたが、いくらそれを鼻先に置いてみても、なかなか手をつけようとしない。
このままではせっかく拾ったカメレオンが死んでしまう。弱り果てて大学の友人に電話をかけてみると、馬鹿だなあ、まず芥川あたりから慣らすんだ、と教えてくれた。
薦めに従って、今度は図書館から芥川龍之介全集を借りてきてやると、初めは気が進まない様子だったカメレオンも次第にゆっくりと頁を繰り始めた。そしてそのペースは段々と速くなり、夜までには全集を全て読破してしまったカメレオンの身体は少し大きくなっていた。何しろ二つの眼が別々に動くので、ただでも常人の二倍の速度で読めるのである。
次の日は川端康成と村上春樹、その次の日は泉鏡花にドストエフスキー……ジャンルはばらばらでも、カメレオンは貪るように古今東西の名著を読み散らかしては成長していく。身体が大きくなるにつれて表情も豊かになり、スウィフトを与えたときには、読みながらさも面白そうにけらけらと笑っていた。
しかし、年が明けた頃からそいつの著しい成長はもはや膨張としか呼べないようなものになっていった。ただでさえ手狭な僕の下宿はカメレオンの身体で埋まりつつあったので、あるとき三日間ほど一切の本を与えることを止めてみた。
しかしこれが逆効果だった。カメレオンは、日頃の愚鈍な動きからは想像もつかないほどの勢いで暴れまわり、それに従ってさらにその腹は膨張していく。狂ったそいつは、部屋中の時刻表から歯医者の診察券までおよそありとあらゆる活字を眼で追っては飲み込んでいったが、不思議なことにすでに読み終わった書物には全く興味を示さないのだった。
僕は大家への言い訳を考えながら文字のないユニットバスの中に非難していたが、やがて一瞬の破裂音に続いて外に静寂が訪れた。恐る恐る出ていくと、そこには肥大したカメレオンの姿はなく、部屋の中央には手袋ほどの大きさのカメレオンの皮だけが残って風に揺れていた。