第54期 #1
彼女が袋いっぱいのチーズを持って僕のアパートに現れたのは、二月二十日の夜のことだった。
歯を磨いている僕を見事に無視し、彼女は「チーズケーキを作りに来た」とスカートの雪をほろいながら言った。
「チーズケーキ?」
「そう。だからチーズ選び手伝ってね」
テーブルの上にどん、と袋が置かれる。
「なんで急に……」
「チーズが投売りされてて」
「へえ」
彼女が座ってチーズを取り出し始めたので、僕もテーブルを挟んで座った。パーティの始まりだ。細かいことは考えなかった。チーズケーキって普通クリームチーズから作るんじゃ、そんな言葉も呑みこんだ。
「あ、これは旨い」
「こっちは味が薄すぎるねえ」
会が開かれてから、二時間が経過していた。二人とも好き勝手なことを言い合い、テーブルの上にはチーズの小山ができていた。
「おい、なんだこれ! 斑模様だぞ!」
「あー、そういうタイプのチーズも混ざってたんだ」
けらけらと彼女が笑う。
「勘弁してくれ……」
僕はそれを端に避けながら、なにとなく時計を見た。
「そろそろ終電だな」
彼女がぴくっと動く。
「明日も学校だろ? さあ、そろそろ帰った帰った」
最後のチーズを口に放り込み、いつもの調子で言ったつもりだった。しかし彼女はどうも普段の調子ではなく、「そうだね」と呟いて、ゆっくりと立ち上がった。僕は何か変だなと思いながら、余ったチーズは今度食べようと思い冷蔵庫にしまった。
駅まで行く間、彼女は顔を見せなかった。
「ごちそうさまでした。楽しかった」
電車が動く直前、笑顔を見せて彼女は言った。全部君が持って来たのだけど。僕はポケットからガムを一枚取り出し、彼女に手渡した。
今度なにか買ってやろうか。そう思いながら地下鉄の階段を上っていくと、満月が見えた。そういえば彼女は今日ケーキを作りに来たのだったと、僕はその時思い出した。
彼女が遥か北海道へ突然帰ってしまったのは、その二日後のことだった。半年経った今でも、全く連絡がない。
あの日のチーズは、今でも袋に密閉されて僕の部屋にある。賞味期限を調べてみたら、あの日の翌日だった。本当に安売りだったんだ、そう思うと少し笑いがこぼれる。
楽しいチーズパーティだった。しかし僕が勝手に楽しんでいたのかもしれない。何より肝心のチーズケーキを、まだ食べていない。
何とか北海道を楽に往復できる資金はできた。今度は、ほんの少しだけ高級なチーズを食べられるだろう。