第53期 #16
あまりにもゆらゆらとするから幽霊かと、思った。
月だった。
いや、正確には空だった。全天が揺れていたのだ。その天心に月があったというだけのこと。霞のかかった視界に揺れる虚空が映っていた。このような現象はよく、ある。(例えば寄せる波が波打ち際からどこまでも後退してゆくように……)
すべての幽霊的なものは球体形性系だ。
いや、円形性系というべきか。
だから逃亡の軌跡はいつも円を描く。夢の形もまた丸い。
マクロビウスによれば、神聖な宇宙は堕落によって球形から円錐形に変化するのだという。
そうであればこそ、真珠の輝きはひとつの痙攣に他ならない。
月が円錐形だと発表したのはゼーベルグ天文台のペーテル・アンドレアス博士だ。
小学校の頃に好きだったクラスメートのT君はやはり幽霊に似ていた。ということはつまり月に似ていて、真珠のように痙攣していた。……
それにしても今夜はあまりにも揺れる。果たして、何故か。
あ、月が墜ちそうだ。……
ということを遮蔽物によって小さく切り取られた夜の空を見上げながらぼんやりと思いつつも、そのまままたうとうとと眠ってしまったのは、やはり、あまりにもゆらゆらするからだったろうか。
夢は続編を上映して、いた。
誰かが枕元に立って、いた。
顔を上げて見る気にもならない。それが先刻の夢の続きだということを事後的に意識して見る明晰夢を、見た。
何かの本を読む夢――。
夢の中の僕はひとつの名詞を探していた。先刻の続きから本を読み進む。そうしていても書かれている文字は少しも動き出さなかった。(大抵の場合、文字は凝っと見ていると動き出して零れ落ちるものだけれど。)だから夢の中の僕は――それが異常なことだと意識しつつも――本を読むことができたのだ。何が書かれていたかは、覚えていない。名詞についても、覚えていない。
気がつくと茶の間では古き良き権威主義者であるところの父が独りで笑って、いた。灯かりも点けずに、いつまでも、機織りが機を織るようにして、笑って、いた。
家の中はとても冷えていた。中庭の戸は開いていた。空は尚のことゆらゆら揺れていた。月は隠れていた。庭の合歓の木は凝っとしていた。枝にぶら下がっていた何かも、ただ凝っとして、いた。
ある冬の日の夜だった。
すべてのまっすぐなものは実は曲がっているのだと知るようになったのは、きっとこのときからだったような気が、する。