第51期 #28

 大学に二十二年前から常駐している警備員氏と話したのは、前期試験も終りかけた頃のことだった。以後一度も姿を見ないのは僕が余り学校に行っていないせいだけれど、雨が降らないと登校する気になれないのは、普通ではないなと思う。あの朝、未舗装の泥濘んだ駐輪場を長靴で歩き廻る彼に、何気なく挨拶をして教室に向かい、地理学の試験を終えて駐輪場に戻ったところで呼び止められた。傘を差した学生達が周りを行き交う中、灰色の制服に透明の雨合羽を着込んだ彼は雨でふやけたような顔で笑い、試験や夏季休暇についての話題の後、訥々と昔語りを始めた。彼がこの校地に着任したのは五十六歳のときで、現在は七十八だと言った。

 多摩校地が竣工した一九八四年は、僕が生れた年でもある。当時、学生運動が沈静化して数年が経ってはいたものの、都心の校地には依然として多くの活動家が居り、多摩での授業開始に合せて押し寄せて来ていた。ヘルメットと角材で武装した学生達が構内を歩き廻り、やがて連行されていく姿を彼は眺めていた。取り押さえるのは警備員でなく警察の仕事だった。昭和天皇が崩御したときには別の集団が多摩地域に流れ込み、それを追う機動隊が警杖と盾を携えて校地までやって来た。程無くして近くの山中に在るダム湖のほとりから迫撃弾が発射され、弾は御陵に届くことなく終り、多摩の学生運動もこの頃には下火となった。

 彼の話は次々と移り変わり、この校地で知り合いの七年生が最近ようやく卒業見込になったこと、以前はバイクで通勤していたが現在は電車で来ていること、彼の娘婿が交通事故の後遺症で亡くなったことなどを静かな口調で話した。話が途切れて十数秒の沈黙となったとき、僕は言葉を巧く挟むことができずに次の話を待つか、大して意味を持たない一言や二言を発していたように思う。僕も事故で足を折ったけれど今は快復している、と話し、無事でよかったと彼は頷いた。或いはまた彼が経験してきたことに気の利いた言葉を返そうと試みることが非礼に当るのではと思い、あとは聴くことに徹するばかりだった。僕は優れた聴き手などではなく、寡黙で不器用な聴き手だった。雨合羽に当る雨はいっそう強まり、それではまた、と彼は詰所のほうへ歩き去った。取り残されたような気持になって自転車に跨り、長い坂を下り始めると雨粒が顔に鋭い痛みを浴びせた。坂が終ると痛みは収まり、雨でふやけた手と顔が残された。



Copyright © 2006 川野直己 / 編集: 短編