第5期 #1

感覚という名の情景

私が1番最初に覚えてる感情は音だった。父親に殴られて、レイプされた。そのときの音を鮮明に覚えてるわけではないのに、でも今でも脳内の奥深くにこびり付いてる、そのなにか不鮮明な音が。
私が今1番好きな音は「ドビッシュー」のアラベスク。 これを聴いていつも私は窓の外から遠い空を見上げてる。
其処に何があるかと聴かれたら、まず何も無い。そう答えるしかない、なにも無いんだから。 でもその場所は私の居場所に違いは無い確実に。
 今は私は母親と2人で暮らしてる、母親は神経的なノイローゼになり、私が風俗で働いて収入を賄っている。風俗で客を相手にセックスをしても私は本当に何も感じない。 感覚が無い。だからこの仕事は私にきっと向いているんだろう。 そう想う、本当に。私が何も感覚を持ってないのはきっと父親にレイプされたあの日からだろう。そのときから一切の感覚が消えうせた。殆ど。それでもドビッシューのアラベスクだけが私の感覚になっている、不思議な事に。その音は何もかもを包み込み、感情というなの私の持っていない感覚を運んできてくれる、耳から、脳内へ、ココロへ。 錆び付いてギシギシと音を立ててるようなココロにも。その日の明け方に家に帰ると母親が居なくなっていた。私は限りない不安に襲われた、母が1人で何処かへ行くなんて今まで無かったから。
そのまま2日が過ぎていった、そのあいだもこの音だけが私を包み込んでいた。 私はこの時間だけが感覚が戻ってくるような、そんな気がしていた。父親の恐怖のに恐れおののいて音を嫌った私にも、感情という名の音を運んでくれる気が。嫌な予感は的中した、もっとも一昨日に帰ってきた時から大体は嫌だけど予想はついていた。母は赤信号を無視して車に跳ねられて首が取れて死んだそうだ。死体の確認もされなかった、きっとあまりに惨い姿だから見せられないのだろう。
私はその夜仕事を休み、1人で公園のブランコに乗ってみた。 
いつから私の人生は狂い始めてしまったのだろう? いつから感覚が消えたのだろう?なぜ父は私を犯したのだろう?そんな情感をアラベスの調べが強く思考を回転させる、強く、強く。でもそんな事を幾ら考えようとも答えなど出ない事を私は誰よりも知っている。そうそれでいい、そのままで、このままで、此処でいい。この音が私に感覚という情景を与えてくれるなら、与え続けてくれるなら。それだけでも私は生きていく。


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