第46期 #15
由紀の母の実家は、先の大戦で没落した地主の家で、遺産を継いだ母は、その屋敷を守ることに血眼になった。わずかに残っていた田畑を売り、そっくり残っていた広大な山を売り、それでも足りずに借金をし、それが原因で夫と別れてまで、江戸時代に建てられた屋敷を守った。自分が育った家だったからという理由だけで、母は無理をして相続税を工面した。由紀にはその情熱が理解できないから、心理的な負担を減らしておこうと、自分が相続しても、「私には守れないわよ」と言ってあった。それに対する母の答えは、往生際が悪かった。「大丈夫よ。あなたの旦那さんが守ってくれるわよ」「恋人もいないのに!」と当時、由紀はふくれた。彼、なんて言うかしら。
確かに屋敷も、庭も、敷地内のうっそうたる林も、現在の母子には過分なものだった。それは、堂々とした門であり、広壮な屋敷であり、美しい庭だった。ところが、由紀も、母が背負ったこの家の命を感じ始めた。と言うのも、まるで屋敷自らの力ででもあるかのように、祖父が昔、道楽でやっていた蘭の栽培から新品種が生まれて、この家を金銭的に支え始めたのだ。蘭栽培の温室の横には、荒れた敷地があって、由紀と母は、そこを花園に変えた。一年中花が咲き乱れるようになった。由紀はその花々でジャムを作った。母は相続問題がおさまって緊張が抜けたのか、最近体調を崩して入院してしまった。せっかく守り通した家に居られない不幸を嘆いた。
由紀は愛犬のニュートンと、大きな古い屋敷で寂しく過ごした。夕食のデザートは、清らかな白い花ジャムだった。紅茶とともに食べた。今朝摘んだ青白いバラで、不思議な形とかぐわしい香りに魅せられて摘み取ったのだったが、何と妖しく甘い匂いだったろう。食後、由紀は少し気分が悪くなって、畳の上に横になった。そして、そのまま目の前で世界が暗転した。
闇の中だった。男が由紀の下半身を裸にして、床に寝かせた。
「嬢ちゃん、股を開くんだよ」
男は言った。
由紀は男の顔を見ていた。その顔は闇の中に没していた。
由紀はニュートンに顔をなめられて気が付いた。由紀はニュートンを抱いて、そのままじっと横になっていた。遠い遠い昔の失われていた記憶の世界が、扉を開いて由紀を招き入れたのだ。天井がゆっくり回転していた。この家が自分をしっかりといだいているように感じられた。