第45期 #4

 この駅で私は、帰ることのできぬ故郷と、まだ見ぬ都会を何度も思った。突然に奪われた故郷に対する望郷の念は深く、新しく与えられた社交の場を行き過ぎて、どこまでもどこまでも真っ直ぐに歩いてゆくことで、私だけでも帰るのだと思っていた。いや、違う。私だけでも、などという、他者を考慮した思いではない。ただ私は身勝手に、あの丘を越えてどこまでもどこまでも歩いて行けば、かの地に帰れるのだと思うことで寂しさをまぎらせていた。
 また、見知らぬ都会への恐怖と好奇心もまた、私を駆り立てた。その頃私は、都会の地図を、小さな小さな地図を買った。何に対しても購買意欲が皆無に等しい私にとって、必要に迫られたわけでもない地図の購入は、気の迷いとしか言いようがなかった。私はその、手のひらに収まる地図を眺めては、都会の雑踏を想像し、それを目にする日を思い描いた。
 この駅は私にとって二つの側面があった。
 丘を越えるのではなく、この駅からかの地へ向かうことができるのだと知る頃には、私だけが帰ったところでどうにもならないのだということさえもわかっていた。それでも私は、目的地へ向かうのとは反対の列車に乗り込んで、まるで密航者のように身をすくめて故郷へ帰りたい衝動にかられた。だが、それは許されなかった。
 かと思えば目的地はいつだって、都会へ向かう途中でしかなく、周りの景色もさほど変わらないうちに私は下車するしかなかった。故郷へ帰ることはできずとも、このまま行けば未知の世界へ辿り着けると知りながら、その地を見ることは不可能だった。
 どこへでも行けるはずの線路が、どこにも続いていなかった。限られたピストン運動は、私を過去へも未来へも連れて行ってはくれなかった。まるでブランコのように。

 私が初めて都会に行ったのは、別の路線を使ってだった。
 長年憧れを抱いてホームに立ち、想像をふくらませていたその駅からではなかった。
 そして懐かしい故郷に思い出など求めても無駄なのだと思いつつ訪れたのは、車によってだった。

 かくして、この駅は今でも、あの頃の郷愁と憧れをそのままに保っている。
 どこへも行けなかった私。
 どこへも戻れなかった私。
 その幻覚が、この駅のホームに染み付いている。



Copyright © 2006 わたなべ かおる / 編集: 短編