第41期 #1

深海魚

 仄暗いこの水底には、陽の光など到底届かない。朧気な視界に映るのは、濁りきったビー玉の瞳を持つ魚たちと、どこまであるかしれない深淵のみだ。
 私がここに存在するようになってから、もうどれくらいの時間が経過したのだろうか。幾度となくそれを考えてみるが、それを正確に知る術はない。結局はいつも思考を中断し、闇にたゆたうのだ。
 ごくたまに遭遇する深海魚たちは、実に珍妙な容姿をしていた。それは私が生活していた環境では見ることのなかったものだった。彼らは生気のない眼でこちらをちらりと見ると、大抵はつまらなさそうにどこかへ消えていったが、何回かに一回は声をかけてくることがあった。話の内容は他愛のないもので、よく覚えてはいない。ただ私は、話している間、少しだけ孤独から解放されるのだった。
 不意に、私の視界が少しだけ明るくなった。眼帯の下にある空の眼窩が疼く。私の周辺を照らし出したのは、名前も知らぬ魚だった。魚の頭頂部からは管状のものが伸びていて、そこがぼんやりと淡く光っている。
 照らされた先には、きらびやかな宝石や金銀があった。それらが嬉しそうに輝くのはこの魚が通りかかったときだけで、ほとんどは本来の使用用途とは違って静かに眠っているだけだ。
 宝石たちは忘れられたこの場所で、せめて自らの誇りを忘れまいと必死で輝いているのだ。自分自身が己の存在を忘れないように。
 やがて魚は去り、宝石たちはいつ終わるとも知れぬ永い眠りについた。私はただゆらゆらと浮いているだけだった。
 しかし、私は分かっている。もう限界がきたのだということを。既に生への執着はない。いや、そもそも私はもう死んでいるはずなのだ。とっくに消滅している存在なのだ。だが私はここにいる。それはやはり、私が背負った業の重さ故なのだろう。償えるほど軽いものではない。
 何も嵌っていない眼窩から、何かがこぼれ落ちたような気がした。すぐに闇に飲まれていったそれが何なのかは、おそらく分かることはないだろう。
 体が軋む。聞いたことのない音がして、私は崩れ落ちた。バラバラになってしばらく水中を漂った。私は砂に混ざって、大きな海の一部となった。その目を通して、私は一筋の光を見た。
 今度生まれてくる命が、この暗い水底で嘆かないように。そう願いながら、私はありもしない瞼をゆっくりと閉じた。艶やかな過去の映像が、一瞬だけ浮かぶ。
 そして何も見えなくなった。



Copyright © 2005 齊藤壮馬 / 編集: 短編