第39期 #1
小さく折りたたんでポケットにしまう。思い出にしてしまえばいい。どこかの誰かが、きっと何度も繰り返した他愛のない出来事。夜空の向こうには、目に見えない数えきれないほどの星が輝いている。その星のひとつだと思えばいい。目を凝らしてもみることのできない星。誰も思い出すことがなくても、いつか僕はそのことを思い出す。
小さく折りたたんだ紙切れに書いた言葉を、何度も小さくつぶやいてみる。暗闇を引き裂いて、列車がやってくる。深夜の列車には乗客はまばらにしか乗っていない。こんな夜だけど。君に、伝えたいことがあるんだ。
夢のように過ぎていくこの人生を、いかにも大切であるかのようにあつかうことなんかできない。手のひらからこぼれ落ちる砂のように、僕たちの時間もどこかへ落ちてしまってもとに戻ることはない。混ざりあった砂をもとに戻すことができないのなら、僕たちが出会った偶然を運命だと勘違いして、なにが悪い。
今しかないんだ。そうだろう。過去もなく、未来もない。いまここで、僕が踏みしめるアスファルトの道、車輪を軋ませて通り過ぎていく列車、ポケットの中の小さな紙切れに書かれた言葉たち。
どうしてこんなにもくるしいのか。どうしてこんなにもせつないのか。どうしてこんなにもさびしいのか。
この世界で、こんなにも小さな人間が、こんなにも臆病な人間が。
こんなにも孤独を。
僕は立ち止まり、吹きつけてくるあたたかい風の音を聞く。
このまま引き返すほうが、おそらく簡単で、安全で、正解なんだろう。でも、それでは。
それでは僕が僕ではない誰かでもかまわない、君が君ではない誰かでもかまわない、今が今ではない時間でもかまわない、そういうことになってしまう。
初めて出会ったときのことを今でも思い出すことができる。
初めてかわした言葉を。
初めて僕に向かってなげかけた君の笑顔を。
僕は今でも思い出すことができる。
小さく折りたたんだ紙切れに書いた言葉を、もう一度小さくつぶやいてみる。暗闇を引き裂いて、また列車がやってくる。
一億二千万分の一と一億二千万分の一の。
汗を握り、胸の鼓動を打ち消すように息を吸い込む。僕がこうして歩いていること。君に向かって歩いているということ。
誰も見ることのない無数の星が夜空には輝いている。
そう語って空を見上げた君の頬を。
誰も思い出すことがなくても、いつかまた僕は
思い出すことだろう。