第35期 #6
肩甲骨は、生まれる前は天使の翼だったのだよと、キリスト教徒だった祖母はいつも言っていた。今の僕は、決してそんなことを信じる事はないのだけれど、それを聞いた当時は嬉しくて、「僕は天使だ」とみんなに言いふらしていたものだった。
関係ないのだけれど、肩甲骨の「肩甲」は、「健康」だとずっと思っていた。何せ、小学6年生から中学1年にかけてまでそう思っていたのだから、よほどのことだと思う。しかし、何故天使の羽が「健康」なのだろうと考え、よく調べてみると、自分の犯している過ちに気がついて、恥じた。
祖母が死に、成長して一人身になった僕は、祖母が教えてくれた翼のことは忘れてしまっていた。
ある、夏の日の出来事だった。
東の空には入道雲がもくもくと立ちはだかっている。蝉の声が、僕をイライラさせた。そして、窓から見える空の中心に、何かが飛んでいた。最初は鳥だと思ったのだが、手足が6本あるように見える。よく見ると、小さな子供で、手足かと思われたもののそのうち2本が羽だった。
天使だ。
しかし、僕はそれを暑さのせいにした。
そんなものがいるわけないか。
きっと今日は夕立だなとため息をつきながら、僕はメンズ雑誌に目を戻した。
雑誌に飽きた僕は、それを投げ、再び窓の外を見た。
強い日差しを当てられているアスファルトの路頭に、白いワンピースを着て、つばの大きな白いキャベリン帽を被った若い女の人が立っていた。多分、僕と同じくらい。太陽が不似合いな白い肌をしていて、日傘までもが白かった。日差しが異常に強いために、眩しいほどに輝いて見える。僕はその姿を、ただじっと見つめていた。
彼女は僕がいるのに気づき、にこりと微笑むと、「すみません」と話しかけてきた。
「このあたりで、羽の生えた子供をみませんでしたでしょうか」
僕はこの人を、真っ先に天使だと思った。
さっきのあれは、幻覚ではなかったのだろうか。
僕が黙っていると、「見ませんでしたか?」と彼女はさっきよりも口調を強くして言ったので、僕は思わず怖くなり、「いや、見ていないよ」と言ってしまった。
「そうですか」
彼女は残念そうにしながら、しなやかな足取りでその場を去っていった。
僕は、天使を見た。
と言っても、誰も信じてくれないだろう。
僕自身、信じられないのだから。
本当に、一瞬の出来事だった。
僕は肩甲骨を誇らしげに想い、窓の前で、大きく腕を広げた。