第33期 #17

五月、僕は図書館で

 時間と時間の間に迷い込んだような静けさ。人々がコマ送りで動いている。本の表紙を眺め手触りを確かめていたり、頭を本棚に突っ込んで何分も出てこない人もいた。カウンターで長い髪の女の人が渡された本の匂いにくらりと頭を上下に振った。振りながらパソコンに入力作業をしている。中に夏目漱石でもいるのかと思ったくらいだ。本も人もみんな鮮やかな色をしていて、ぎこちない動きをしていなければ図書館と気づかないほど活気が溢れているように見えた。僕はブルーのシャツを着ていた。胸に大きな魚がプリントしてある。ジーンズは1ヶ月ほど洗っていない。釣り針みたいなロゴで土踏まずが釣り上げられている靴。これは誕生日に自分で買った。     
 突然携帯の呼び出し音が鳴った。本を一冊抜いたあとのすき間に大柄の男がいる。似合わない音楽を聞くものだな、と僕は思った。
「よう、」
と男は言った。誰か親しい人からの電話らしい。男はしばらくうなずいていた。
「何か持っていくのか」
どこかに行く話のようだ。すでに立ちあがっていた男の顔は、色とりどりの背表紙に隠れている。
「今更プレゼントっていうのもなぁ」
男は低い声で笑った。いや、何かをつまらせただけかもしれない。昼に食べた定食の鮭の皮が喉にぺたりとくっついて剥がれないだけかもしれない。
「あれから1ヶ月か」
一瞬横顔が見えた。えらく深刻な表情だ。声が少し震えたように聞こえたのは僕の耳垢が溜まっていたせいだろうか。いや耳垢じゃない、溜息だ。タイジの溜息が僕の耳に詰まっている。
 タイジのことはよく知っている。先月も一緒に釣りに出かけた。僕は誕生日前で、タイジは大物のチヌを釣り僕のクーラーボックスに入れたまま忘れたと、携帯で知らせてきた。取りに行くのは面倒だからそっちで適当にさばいてくれ。
「……と言ってもなぁ、俺まだそこらへんにあいつがいるような気がするよ」
僕は本棚を迂回し、よう、と声を掛けた。
「んじゃ、一時半にクレちゃんちな」
タイジは携帯をポケットに突っ込み、僕の伸ばした手を軽くかわした。

 図書館の自動ドアが開くと、世界はモノクロだった。白と黒の街、なのに五月だ。並木の葉が風にそよぎ、さえずる鳥の声が電線で交差してる。さっと背中に影が差し、タイジは後ろ姿のまま動かなくなってしまった。あきらめて手にしていた本を開いた。青々とした表紙の空が指先から滴になって落ちてくる。構わず続きを読む。



Copyright © 2005 真央りりこ / 編集: 短編