第33期 #1
格別の理由は無いが、どうも電線という奴が信用出来なくなった。
私は決然と靴紐を縛り、電話口で放った声が何処に届いているのかを見極める旅に出た。
早くも予感は裏付けられつつある。
改めて見る電線の何と奇妙な事か。数十歩置きに地面に突き刺さる巨大な柱。それを跨いで空を這う黒い紐。慣習とは恐ろしい――こんな物を毎日目にしながら、感じる所が無かったとは!
早足に駆け電線をトレスしたが、何故だか同じ路地をぐるぐると回るばかりで、一向に景色は変わらなかった。何の手品か。恐らくは私のように電線の胡散臭さに気づいた者から、真実を遠ざける為の罠なのだろうが、そんな物を用意している時点で、電線とは後ろめたい物ですと云っている様な物だ。第一、その程度の罠でこの私を翻弄する事が出来ようか。太い電線とは別に細い電線が一本、裏路地に延びているのを見ると、私はそこへ飛び込んだ。
ふいに、差す陽光の赤さにぎょっとした。電線に気をとられて気付かなかったが、既に暮時。人々は逆光に顔を隠して家路を急ぎ、烏は悪魔の如き声で哄笑し、私の影は不気味な程に長くずるずると伸びていた。
――陥れられた。
迂闊であった。私の行動が敵に気取られていない訳が無かったのだ。何せ敵の手は、文字通り市街の至る所に伸びている。結果、出し抜いたつもりの私ははや欺かれ、家路を急がれ哄笑され、挙句影を伸ばされた。明らかに警告だ。敵は私を本気で排除しようとしている――以後の追跡は命懸けだ。
それでも私は進んだ。もはや電線の先に通話相手がいる等とは信じられぬ。きっとそこには全てを牛耳る元凶がいて、それを討たぬ事には日常には戻れないのだ。きっとそうだ、間違いない。私は塀を越え、屋根を駆けた。
やがて私は一軒の古びた家屋に辿り着いた。
ドアを叩くと熊の如き巨漢が現れた。その獣めいた瞳に補足された瞬間、私はこいつこそが全ての元凶であると理解した。
「一昨日電話遣して今日まで来んとは何じゃァ、としき! 貴様ァ親に金も送らんと」
元凶は手近にあったモップを取った。その巨躯だけでも私を圧倒出来そうなのに、得物を使う気らしい。容赦なき殺意に寒気を覚えながらも、私は落ちていた金属バットを取り、正眼に構る。
「いい度胸じゃァ親の力見せたるッ」
バットが最後の西日を映し、鈍い光を宿す。
いかにも元凶らしく獰猛に笑む敵に、私は多分決然とした表情で突っ込んだ。