第32期 #9
灰色の空の下銀の氷上に帆を掛けた何艘もの小型のそりが滑っていく。ゴールの目印に置かれたマフラーを蹴散らして、チナツが一位でゴールインした。二位につけたケンがチナツの肩を抱き寄せて負けを認めた。
「十年早いわよ、ケン」
「これからモールに行こうよ。地球フルーツを奢るよ」
「用事があるから」
「じゃあ、送るよ」
「いいえ……トモヤ、マフラー見せて!」
少し離れて立っていた小柄な少年が足を引きずりながら近付いた。彼は一人だけゴールで待っていたのだ。目印に置いた彼のマフラーは端が少し切れていた。
「ごめん、よけ損ねた。すぐ直すわ。うちに来て」
チナツとトモヤは同じそりに乗り込んだ。少年たちのひとりが口笛を吹いた。
煙突状に突き出たハッチから地下の居住区に入ると、チナツの母がトモヤを強く抱きしめて叫んだ。
「さあ、今日は本物のロースハムを解凍するよ!」
「いいよおばさん。もうすぐチナツの誕生日だから、その時まで待とうよ」
「お黙り!」
チナツが小声で耳打ちした。
「お願い、遠慮はやめて」
吹雪で倉庫に数十人が閉じ込められた時、トモヤが命懸けで救援を呼びに行って全員が助かった。その中にはチナツの父親もいた。トモヤはその時足を痛めた。
食事までビデオを見ようとチナツが言った。チナツはトモヤをソファの右側に座らせ、右側にある太陽灯をつけて、自分は左横に座った。上着を脱いで肘まで露になったチナツの手が肩に触れてトモヤはどきりとした。ビデオは地球のオリンピックの映像だった。
「フィギュアスケート。地球では、わざと部屋を寒くして氷を張るのよ」
この星は希少金属が発見されて一時は植民が急増したが、地球で代替品が発明され、途端に寂れてしまった。一年中曇空で凍りついているここには、もう誰も来ない。
「私、オリンピックに出るわ。そうすれば地球に行けるもの」
夕食後、チナツはフィギュアのステップを見せると言ってトモヤを外に連れ出した。氷の上で幾度も舞った。やがて二人は並んで座って、夕闇が迫る中、チナツは地球の話をし続けた。青い空、夏の海、地球はとても美しい星だそうだ。
ふとチナツが黙り込んだ。トモヤが横顔を窺うと、チナツはうっとりと空を見上げていた。この星ではたまにあることだが、弱い雷が夜空にスパークして幾層にも広がり金や銀にきらきらと点滅していた。光の饗宴がチナツの白い頬に映えるのを、トモヤはいつまでも見つめていた。