第32期 #23

人前の式

  
 雑然とした空気が式場係りの一言で静められ、代わりにオルガンの音色が部屋を満たした。ほどなくして、高さ三メートル程もあろうかと見える大扉が、内側へと開かれ、音楽を二つところに分かち、その合間を入場してきた花嫁と花婿が赤い絨毯の導く先にまで、ゆるゆると進んでゆく。
      
「これは人前式です」やがて一段高い所へ新郎新婦が並び立つと、係りの女はにこやかな表情の下にいくぶんか諭すような調子を交えて話した。「ですので、場内にいらっしゃる皆様、お一人様お一人様が、新郎新婦お二方のご結婚の証人となられます。お手元にお渡しいたしましたベルを」そう言って女はいったん口を閉じ、天辺にコスモスの造花をくっ付けた掌に収まるサイズのベルを取り上げて、再び続けた。「私の合図いたします後に、お二人のこのご結婚の承認と祝福の意味を込めまして、皆様ご一緒に鳴らして頂きたく存じます」それから、さあこのように、と言わんばかりに、チリンと一度それを鳴らしてみせた。
「そしてそれまではどうぞ、ベルをお鳴らしになりませぬように」そこまで言い終えると、女はにこりと笑った。と、その直後に、最前列にいた小さな子供が「チリン」と鳴らしたので、場内は一時の笑いに包まれた。
 
 一方、前に立つ二人は緊張からか、借りてきた人形のようにぎこちなかった。「わたしたちは、誓います」始まってみれば賛美歌もコリント人への手紙もない簡素な式であった。誓いなど、これから二人は2LDKのアパートで二人して暮らすのだ。その事実だけで十分すぎるほどじゃないか。
チリンチリン。
 
「寒い季節に結婚式はこたえるな」式の終わった後で、友人の一人がこう言った。
「まあボーナスがそれなりに出たことだけが救いだよ」また一人が言った。
「仕方ないさ、急に決めてしまったんだもの」そう僕は言った。「善は急げってね」そうして彼らがまた何か言いかける前に、チャペルの外へ出た。
      
 おそらく一週間も経った頃、受取人不明の手紙が一通、僕の元へと舞い戻ってくる。冬枯れの寒い庭に立つポストから、僕はどんな顔をしてその封を受け取るのだろう? 表にはもう使われることの無い、古い名前が記されている。
  


Copyright © 2005 佐倉 潮 / 編集: 短編