第31期 #1

黒い幸せ

「幸せを買いませんか?」
 黒いスーツに、黒い帽子を被った男。目深に被った帽子のお陰で、口元だけしか見えなかった。
 その唯一見える口元は、ニヤリと不敵な微笑みを浮かべていた。
「このカプセルの中には、幸せが入っているのです。1錠で1つの幸せが味わえるのです」
 そう言って男は、1つのカプセルを取り出す。中には、オレンジとブルーの2色が混ざり合っていた。
「ただし、1日に5錠以上の服用は控えて下さい」
 男は、それまで私に見せていたカプセルを飲む。
 ゴクッと軽く音を鳴らして飲み込んだ。
「このように水がなくても飲めますから、いつでもどこでも服用できます」
 男は口元だけ見えるその顔に、にっこりと笑顔を作った。
 もう1錠を取り出す。カプセルの中は、オレンジとブルー。どうやら先ほどと同じもののようだ。
「1錠100円で取引させて頂きます」
 高い。
 私はもう少し安くならないかと尋ねた。
「これでもお安くしているのです。保険の意味も兼ねまして、初回はお高くなっております」
 でも、と私が言おうとすると、何故か口が動かなかった。これはどういうことなのか、私には全く判らない。
 突如口が、動かなくなった。
「何錠必要なのですか?」
 男が問うと、私の口が勝手に動き、ある数字を紡ぎ出す。
「え、何々。試しに10錠買いますと?よろしいですか、それだけで」
 そういわれると、足りないような気分になった。向こうの思う壺なのだと判るが、それに気分が反応しない。
「それじゃあ20錠にする、ですって?いえいえ、販売は50錠からなのです」
 それじゃあ50錠で仕方がないわ。
 私の口は勝手に動き、承諾の意味を男に伝えた。
「では、5千円頂きますね。はい、確かに頂きました」
 男はどこから取り出したのか、黒い鞄に5千円を詰めた。そして『幸せ』の入っているであろう、1つの箱を取り出した。
「これに50錠入っています。いいですね。1日5錠以上の服用はおやめ下さいよ」
 わかってますと伝えたら、その男は玄関から消えた。
 一体どこのセールスなのか。思わず買った箱を覗き込む。どこの会社かわからない。名前が明記されていなかった。



Copyright © 2005 稲葉亮 / 編集: 短編