第30期 #7

幸せはこび

―幸せはいりませんか、いりませんかあ

娘はできるだけ元気を出そうと思うのですが、その声は少しかすれているようでした。
なにしろ、朝早くこの街に着いて、ずっと歩きつづけ、声を上げつづけていたのですから。
もうお日さまは西の空にしずみそうです。

―今日はぜんぜんだめだったな、だれも立ち止まってもくれないや
―ここはみんな幸せすぎるのかも知れない、それとも……

娘はその先を考えるのはやめにして、道のほとりでキャンバスを組み立て始めました。
夕日があまりにもきれいだったのです。
肩にさげたふくろから道具を取り出すと、娘は白い画面に向かって描き始めました。
遠く青い山々、真っ赤な空にお日さま、小さな家のえんとつから立ちのぼるうすいけむり。
娘は一心にそれらをキャンバスの上にのせていきます。
山のてっぺんに日がしずむ寸前、ようやく絵は完成しました。

ほっとした娘がふりかえると、そこにひとりぽつんと座っていた男の子と目があいました。
貧しい身なりの小さな男の子です。

―あの、ぼく、幸せをいただきたいんですけど
何におびえているのか、男の子の顔はまるで生まれたばかりの子ウサギのようです。
娘はためらうこともなく、今描いたばかりのキャンバスを男の子に差し出しました。

―うわーっ、きれいだなあ、なんてすてきな絵なんだろう
たちまち男の子の顔に幸福な笑みが広がり、小さなひとみが最後の夕日にきらめきました。
けれども彼はすぐに目をふせてしまい、こう言うのでした。
―ありがとう、でもぼく、なんにもお礼ができないんです

娘は少し悲しい気持ちになって言いました。
―ううん、お礼ならもうもらったからいいんだよ
―ほんとう?

そういうが早いか、男の子は大切そうにキャンバスをむねに抱いたまま走り出しました。
少しいったところで男の子はふりかえり、娘に手をふって言います。

―また会えるよね、さようなら
夕日よりも、もっともっときれいで明るい笑顔でした。娘も手をふって答えます。
―きっと会えるよ、さようなら

小さな姿が道のむこうに消えたころ、娘はまた旅のしたくにとりかかります。

―幸せをもらったのは私のほうだったかも知れないな
娘は、もうずいぶんうす暗くなった道をゆっくりと歩き始めました。



Copyright © 2005 Tanemo / 編集: 短編